ポツンと一軒家、放送から1ヶ月

一つ面白いことがわかった。
顔見知りは、当然、放送のことを伝えていなくても「この前、出てたねぇ」と、わかるのだが、知り合いではない人たちには、ほとんど気づかれなかった。

「ポツンと一軒家に出ていた人ですよね?」などと、声をかけられる時というのは、決まって

作業服&頭タオル

の時だけなのだ。
それ以外の服装の時は、誰も気がつかない。

放送の翌々日に、買い物に出た時には、「あれっ?」という顔で見られることはあったが、やはり、作業服にタオル頭でなければわからないものなのだろう。

予想では、もう少し気がつかれるかな?などと、思っていたが、そんなことは、まったくと言っていいほどなかった。

そして、多くの人が心配してくれたのが

山に大勢来ちゃうんじゃないか?

ということだった。
これは、確かにあった。
だが、ほとんど人たちは、ゲートの前で帰ってしまっていたようだ。

放送前日から、そんなこともあろうかと思いゲートを閉めていたのだ。
放送の中では、「ゲートが開いていたら居る」と流れたので “閉まっていたら居ない” と思うか、または、ゲート内(私有地)への侵入は、一応、軽犯罪法違反となるので躊躇したかだと思う。

結果、上まで上がって来た方は数人にとどまり、知り合いのみなさんは遠慮してか、あまり来てくれなかったため、正直なところ、とっても寂しい日々を送っていたのだ。

現実世界では、ほとんど、何もなかったというのが、この1ヶ月の出来事なのだが、大きく変化したのは、OnLineの世界だ。
放送の中で、僕が、ブログやYoutubeを参考にしていたことを話し、自分も、ブログやYoutubeで、自分のことを公開しているということが流れた。

そのことによって、僕のYoutubeチャンネルの登録者数は、2万人に達する勢いとなり、このブログのアクセス数も飛躍的に増えた。

実は、昨年末に始めたYoutubeだったが、放送前には、少し嫌になっていた。
それは、撮影はまだしも、編集に時間がかかり、その分、作業時間を削ることになるし、労力の割には大したものができないし、見る人はほとんどいないし。

こんなこと、無駄ではないだろうか?

と、思っていたところだったのだ。
しかし、これも、神の導きだろう、見てくれる人たちが増えたことで、自分のやっていることを公開していく意味を、もう一度、教えられた感じがしたのだ。

僕が、16歳の時からカメラを握り、その後もフォトグラファーとして20年間やってきた事の意味も、ここに生かされてきている。
自分の計り知れないところで、計画され、実行されていることをハッキリと感じる。
これからもきっと、一つ一つの人生の「点」の意味はわからないだろうが、点が線で結ばれていけば、人生の意味が明らかになっていくのだろう。


-MARK'S LIFE:日常