秋祭り

4年ぶりに秋祭りが行われた。
僕にとっては、これが2回目である。
愛媛に来て1年目の秋祭りの時は、東京へ行く予定を入れていたため参加せず、2年目に初めて出たが、その後は、コロナで中止に。
そして、今回が2度目である。

祭りというのは、どこの地域の人々でも気合が入るようだ。
僕の地元である静岡浜松も、浜松まつりがあり、5月の連休3、4、5日の三日間行われる。
昼間は、砂丘に集まりケンカ凧、夜は、神輿のネリが行われる。

しかし、僕が祭りに出たのは、ガキの時に「お菓子がもらえるから行ってこい」と言われて参加した時の記憶しかない。
元来、騒がしいのが嫌いなのである。
そのため、大人になってからは、祭りの行われる三日間は、なるべく浜松市街地から遠ざかるようにしていた。

あれから数十年の時が経ち、この愛媛砥部の地で祭りに参加している。
と言っても、僕は『撮影係』を勝手にやっている。
普通に担ぎ手でもいいのだが、担ぎ手は実際誰でもできる。
もちろん撮影係も誰でもできると言えばそうなのだが、一応はプロとしてやってきたわけで、何が違うのかと言えば、写真の腕とかセンスとかセッティングももちろん大事なのだが、

「見つけ続けること、動き続けること、撮り続けること」

である。
この『やり続ける』ということが、素人とプロの大きな違いだと思っている。
とはいえ、多くの人たちはスマホを片手に撮り続けている。
しかし、さまざまな瞬間を鷹の目のように見つけ続けることはしない。
動き続けても、やはり、プロのようには動き続けることはない。
これらは、意識の差でしかないかもしれないが、その意識の差が行動の差になり、その結果が素人とプロの差となって現れるものだと思うのだ。

現役時代は、現場での『続ける』ということはもちろんだが、24時間365日、常に『良い写真を撮るためにどうするか?』を考え続けていた。
よく、どんなことでも1万時間費やせばプロになれるという。
その法則から考えると、1日14時間費やせば、約2年で1万時間に到達する。
1日8時間であれば3年半だ。

では、どんな人でも3年半仕事をすればプロになるのか?と言えば、どれだけでは、本当の意味でプロとはならない。
そこに最も重要になるのが『想い』である。
プロになるんだという想いだ。
これを『プロ意識』と言っていいだろう。
プロとしての自覚と意識と想いを持ち、やり続ければ、きっとプロになるのだと思う。

さて、4年前も撮影係をやり、今回も。
思い起こせば、僕が撮影会社に就職して、初めて自分のプロ用一眼レフを買い、試し撮りしたのも『祭り』だった。
大きなバッグを抱えて、浅草に向かった。
浅草寺に着くと、神輿が置かれており、多くの人がいた。

撮影をしていると、規制線が引かれてきた。
一般人は規制線の外へ追いやられていく。
もちろん、僕も一般人であるが、とりあえず規制線の中に居座った。

すると、祭りの係りの人が、報道陣と一般人を分け始めた。
規制線の内側に居座る一般人が多数いたのだ。
もちろん、僕もその中の一人。

僕の近くに、小さな一眼レフを持っている人がいた。
係りの人は、その人に報道陣なのか確認する。
すると、撮影許可証を見せていた。
もちろん、僕はそんなものは持っていない。

だが、係りの人は、僕がでかい撮影用のバッグを抱え、手にしている一眼レフは弁当箱と言われる完全プロ機、そして、今では、もうその存在の効力は皆無だが、その当時、絶大な効力を発揮したのが『プロ専用ストラップ』である。
これは、メーカーのプロフェッショルサービスに加入していれば貰えるものなのだが、プロフェッショナルサービスへの加入条件は、なかなか厳しい。
第一に会員の紹介が必要なのである。
さらに、カメラを3台、レンズを5本所有している必要があった。
まさに、メーカーの認めたプロだけが入会できるものだった。

はてさて、会員でもない僕は、なぜ、プロ専用ストラップを持っていたのかというと、当時、2万円もはたいて買っていたのだ。
ストラップに2万円は、高すぎるほどに高いのだが、当時は、それだけストラップの持つ力が絶大だったのである。

浅草の祭りの話に戻るが、係りの人は僕の出立を見てスルーした。
要するに、出立だけで『こいつは報道陣』だと認識してくれたのである。

結果、あの浅草祭りにおいて、観客とは別に報道陣として自由に撮影をすることができた。

服装の失敗

秋祭りの話に戻る。
今回の祭りでも自由に動いて撮影をしていた。
もちろん、浅草祭りとは違い規制線を張られているわけでないので、誰でも自由に動くことはできる。
それでも、他の人たちよりも「いかにも撮影係」だと言わんばかりに動き回っていた。

ただ、今回、大きな失敗をした。
それは、服装である。

前回は、はっぴを借りたのだが、今回は私服だった。
それも、少々冷えたので、黄色いかっぱの上着を着ていた。
初めは、神輿を担いでいる人たちから認識でき、事故防止のためになるのではないか?と考えていたのだが、神社に入ってから後悔した。

たくさんの人が見ている中で、黄色いヤツがちょろちょろとしている。
みんな写真の中にも、黄色いやたら目立ったやつが入ってしまっていただろう。

同じように、毎回、撮影をしてるスーさんを見つけた。
彼は地元のはっぴを着ている。
カメラを構えていても、他の人たちと区別が付かない。
そのため、周りにいる人たちのカメラに映り込んでもなんの違和感もない。

借りてでもはっぴを着ればよかったのだ。
ずっと昔、USJに行った時のことを思い出した。

USJでは、演者に混じって、同じ服装をして、同じように踊ったり歌ったりしながらも、カメラを持っている人たちがステージにいた。
通常、カメラマンというのは邪魔な存在として扱われる。
ウェディングフォトをやっていた頃、そんな邪魔に思われるカメラマンという立場を、どうやって「邪魔だと思われないようにするか?」考えた。

その結果、

めちゃくちゃ目立つカメラマン

になることにした。
服装はスーツだが、黒は黒でもスタイリッシュなスーツにし、構え方は堂々と斜に構え、いつも笑顔で、声はでかい。
要するにカメラマンの存在を一つのキャラクターとして、写真撮影さえも、結婚式の中の一つのエンターテイメントだという捉えてもらえるようにしていたのだ。

その結果「カメラマンが邪魔」ではなく、「カメラマンさんに場所を譲る」という構図ができたし、披露宴中に話しかけられたりすることも多くなった。
さらに、新郎新婦と友人のように振る舞うことによって、誰もカメラマンを嫌がる列席者がいなくなったのである。

そんなふうにしてきたのだが、、、、
今回の祭りの服装は、大失敗だったのだ。



-MARK'S LIFE:日常