買い物のお釣りで、500円札をもらう

今日、松山市街地を歩いていると、交差点の角に野菜が置かれていた。
立て札を見ると「無農薬」「化学肥料不使用」と書いてある。
「こんなところに、こんな店があるのか」と不思議に思うほど、街の中だ。

外に置かれた野菜を数点カゴに入れて店内に入ってみた。
店内は、10坪ほどだろうか。
商品ラインナップは、たまに行く『自然食品の店 flatto』と同じような感じ。

レジに向かうと、お会計をしているお客さんが一人。
店員の女性が、何かを説明している。
説明しながら会計をしているからか、なかなか会計が終わらない。
待っていると、お客さんがもう一人レジに来た。

結構、お客さんが来るものだ。
人口55万人都市のなかで、僕が知っている自然食品を扱うお店が、これで2軒。
2軒ともやっていけていると言うことだろうから、松山の人たちの中で、食にこだわる人が結構いると言うことなのだろうか?

松山市は、大きなアーケード商店街がある。
最初にこの地へ来たときに、それに驚いた。
僕の地元である、静岡県浜松市は、市街地の商店街は、すでにシャッター街と化しており、ドーナツ化現象が酷いのだが、松山は違っていた。

浜松は工場地帯、さらに、車産業で成り立っている。
そのため、郊外に住む人が多く、仕事も郊外、わざわざ市街地へ来る意味はあまりない。
さらに、浜松は、駐車場が不便である。
大きな市営の駐車場はあるのだが、タイムスのような小さな駐車場は、あまり多くない。
そのため、車社会なのに、車で市街地に来るのは、かなり不便なのである。

かたや松山市はというと。
大規模小売店が規制されているおかげで、松山市内の郊外には、大きなショッピングセンターなどがない。
大きなショッピングセンターは、結構距離の離れた近隣の市や町になる。
さらに、市街地には、小さな駐車場がいくつもあり、駐車料金が安いにもかかわらず、駐車サービス券が豊富に配布され、ちょっとした買い物をしたり飲食をすれば、基本的に駐車場は無料である。

また、浜松は、巨大メーカー勤務の人が多く、サラリーマンとしてなかなか良い給与を得て、将来安泰な人たちが多いのに比べ、松山市は、自営業者が多い。
自営業は、儲かる時があったり、どん底があったり色々なのだが、儲かっている時は、節税対策もあり、ドカーン!とお金を使う。
そのため、高級車や高級品が意外と売れているように感じる。

話を戻すが、松山の人は、値が張っても自然食品などにこだわるような人が一定の割合でいるのではないかと推測する。
で、前の人の会計が終わり、僕の番。
お釣りをもらう際、レジのキャッシャーの中が見えた。
そこに、なんとも懐かしい500円札が入っている。

今では、手に入れるためには、金券ショップみたいなところに行かなければ手に入れることはできない。
レジに入っていると言うことは、誰かが500円札を使って支払いをしたと言うことだ。
もしも、お店の人が500円札に興味があれば、お札はポケットにしまい、代わりに手持ちの500円玉をレジに入れるはずである。

そう推測して聞いてみた「もし、その500円札が不要であれば、僕にお釣りとしていただけませんか?」と。
お店の人は、500円札に興味は全くなさそうで、銀行に持っていっても面倒なだけと言うようなことを呟き、僕に手渡してくれた。
「やったー、500円札GET」

うちに帰って、旧札や外国紙幣を入れてある札入れを見ると、僕も500円札を一枚持っていた。
だが、それは、旧500円札。
今回手に入れたのは、新500円札。
ふっふっふ、これで新旧の500円札が手に入ったぜ。

実は、500円札に、僕は、とても思い入れがある。
あれは、小学校3、4年生の頃だっただろうか。
夢を見た。

いつもの通学路の途中で、500円札を拾ったのだ。
そのころの500円と言うのは、僕にとって大金だった。
拾った瞬間、僕は、とてつもない高揚感に包まれた。
もちろん、拾ったものは警察へ届けなければならず、ネコババしてはいけないのは重々承知だが、、、。

しかし、500円札を掴んだ瞬間に目が覚めた。
握った右手には500円札が、、、なかった。
残念だった。
これほど残念な経験は、あまりない。

この夢のこと、握った手の中になかった500円札。
人生で、忘れられない出来事の一つなのだ。
だから、僕にとっては、愛しの500円札なのである。

1982年、僕が9歳の時に500円札は消え、500円玉に代わった。
結局、僕が手に出来なかった500円札は、その後、手にすることはなかった、、、かどうかは定かではないが、なかったかもしれない。
僕にとって、幻の500円札となった。

でも、40年の時を経て、僕は、念願の500円札をこの手の中につかんだのである。

-MARK'S LIFE:日常
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