ミソカモウデ

何年か前から『ミソカモウデ』なることをしている。
ミソカとは、30日のこと。
年末の大晦日の「大」がない「晦日」のことで、最後の前ってことだろうと思う。
モウデは、「詣」であり、繋げて漢字で書くと『晦日詣』や『三十日詣』となる。

毎月30日に、神社へ行ってお参りをするというものである。
今まで、多少はサボったことはあるが、それでも、なんとか続けている。

お賽銭は、貯金箱に貯めた小銭。
東京と違ってキャッシュレスでは生活できない。
いつも行くスーパーも、ドラッグストアも、未だ『CASH ONLY』である。

そのため、小銭が貯まる。
僕は財布を持ち歩かず、iPhoneの背に必要なものはすべて入れてある。
と言っても、入っているのは三つだけ。

『クレジットカード1枚』『運転免許証』『一万円が1枚』以上である。

この三つで、事足りる。
前までは、運転免許証は入っていなかったが、免許不携帯で3,000円を取られることが惜しくなり持ち歩くことにした。
しかし、これが東京であれば、iPhoneだけで良い。
極たまに免許不携帯で3,000円取られたとしても、持ち物が少しでも少ないことには変え難い。
東京暮らしのままであったなら、免許証も保険証もマイナンバーカードもすべてデジタル化してスマホにぶち込めるようにしてほしいと願っただろう。

さて、ミソカモウデの話題に戻ろう。
いつもであれば、山を下って、住宅街を抜け、商店街の先にある神社へ行く。
ここが、氏神様だとばかり思っていた。
部落の神事でも、ここの神主さんが来ていたので、ここで良いと思ってきたが、改めて地図を開いて「神社」と検索すると、もっと近くに神社が存在していたことに気がついた。

普通、そんなの見逃すか?
と思うかもしれないが、その神社は、山の反対側。
車で行くと、ぐるっと山を回って行かなければならず、所要時間は18分かかる。
だが、直線距離にしたら、ほんの1.1kmしかないのである。
ちなみに、今まで行っていた神社へは、直線距離で3.9km、所要時間は12分である。

今回、もう一つ見つけた神社へも行った。
そこは、直線距離で1.6km、車で13分の場所にある。

新田五社神社

最も近い神社を氏神様とするならば、今回訪れた『新田五社神社』となる。
とはいえ、常駐している神主はおらず、おみくじも売っていない。
かろうじて、どなたかが最低限の管理をされていることが窺える山中の神社である。

僕には昔から感じていることがある。
派手なところよりも「地味で目立たず、誰も来ないような場所にこそ神がいる」ということだ。
それをはじめに感じたのは、若かりし頃、久能山東照宮へ行った時だった。

久能山東照宮というのは、徳川家康の墓がある神社である。
日光東照宮が有名だが、家康は晩年、駿府(現在の静岡)に隠居し、実際に遺骨を収められたのが久能山東照宮なのである。

久能山東照宮には、実際に家康の墓がある。
近くには行けないが、墓の周りを歩けるようになっている。
この時、僕は、墓の中には何も感じることはなかった。

だが、歩く通路の脇に朽ちた古木が立っており、その中に何かを感じた。
多くの人たちは、中心の墓の方を向いて歩く、そのため、その脇に立つ古木に目が留まる人は少ない。
しかし僕は、こう感じた。

一つ、家康公は、威厳を保つことは大事であることは理解しながらも、本来は派手好きでなく、地味なのが好み。故に、立派な墓よりも古木の方が居心地が良かった。
二つ、たくさんの人たちが訪れてきて、見せ物にされるよりも、たくさんの人々を眺めている方を好んだ。
のではないか?と。

車や人の往来の多い立派な神社ではなく、誰も来ないような山中の神社にこそ、神が宿っているのかもしれないと感じている。

祇園神社

もう一つの神社が「祇園神社」であるが、京都の祇園と何か関わりがあるのか?どうなんだろう?
こちらは、先の新田五社神社よりもやや大きく、多少は人が来やすい雰囲気の神社である。
小さな集落の中にある感じで、そこの集落の氏神様的な神社だ。

神社の土地は広く、本殿もそこそこ大きく、本殿の横にはたくさんの社が設けられてある。
僕は階段を歩いて登ってきたが、上に来てみるとどうやら車で境内まで来れるようだった。
なんとなく、祖父母の家の近くの神社に似ていて、90歳を越えた祖母のことを思い出した。

今回、二つの神社にミソカモウデとして行ってみた。
最も近いのは、先に書いた新田五社神社だ。
一般的な神社というよりも、山中にあるジブリなんかに出てきそうな神社である。

Google Mapで神社を検索すると、周辺にかなり多くの神社が存在してることがわかった。
この6年間、よくも他の神社を見つけて行こうとしなかったと、不思議に思った。
まあ、でも、Google Mapがなければ、見つけられないことは間違いない。
道を車で走っていても、気が付かずに通り過ぎてしまうほど入り口が分かりにくのだから。

どちらの神社も、僕の所属する部落とは違う部落の神社だということが気になるところだが、また来てみようと思う。

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