今年も軒先でヤマガラが巣作り

昨年の春先、随分と頻繁に小鳥が軒先に来ていると思っていたら、外に置いてあった靴の中に、苔がびっしりと詰め込まれていたことがあった。巣作りをしていたのだ。

昨年、3月30日撮影。足先の方までびっしりと苔が詰め込まれていた。

使う靴の中に巣を作られたのではたまらないので、破れてしまった長靴をちょうどいい場所に設置して、そのほかの靴には蓋をしておいたところ、思惑通り長靴の中に巣を作り始めた。しばらくすると、苔ではなく、ミミズのような虫を運んでいることに気がついた。卵が孵り、子供がいるのだろう。そう思って、覗いてみると・・・いた〜。

昨年、5月9日撮影

暗くて、うまく撮影できなかったけど、写真も撮ることができた。
ただ、残念なことに、写真を撮った翌日には、子供たちはいなくなっていた。もしかすると危険を感じて移動してしまったのかもしれない。だから、今年は、写真を撮ったりせず、巣を見守るだけにしようと思う。

今年は、昨年、イチローさん(ご近所さんのこと)にもらった巣箱を、軒先に吊るしておいたら、思惑通り、巣箱の中に巣を作り始めた。今まさに、巣作りの真っ最中で、午前中は、ひっきりなしにヤマガラが苔を運んでいる。巣箱は、僕のデスクの目と鼻の先、ガラスを挟んでほんの3m程度しか離れていない。なので、椅子に座りながら、ヤマガラが藻を運んでくる様子を見ながら、このブログも書いているのだ。

バードウォッチングに、出かけることなく。日常で、こうした光景を見られるというのは、一つの贅沢のように思える。そして、特に僕は、鳥に気を使うことはない。僕自身は、普通に日常を送る。そのほうが、鳥たちも遠慮なく軒先に巣を作れると思っているのだ。共存共栄とは、どちらかが何かを我慢したり諦めたりして成立するものではないと思っている。どちらも、ストレスなく日常を送れているからこそ、共存共栄が長続きするものだというのが僕の考えなのだ。
もちろん、何かをしてあげたいと思えばしてあげればいい。だから、昨年は長靴を用意し、今年は、巣箱を吊るした。それは、僕にとってストレスではなく、楽しみだからである。

都合は、常に僕自身に合わせる。
なんせ、超自己中心的主義者であるから。

それが、すべてのものが幸せになれる法則であると、僕は信じているのだ。

-MARK'S BRAIN:思考, MARK'S LIFE:日常, MOUNTAIN LIFE:山暮らし, NATURE:自然