交通事故を振り返る

僕の事故の経験を書いてみたが、5番目の後ろからの追突以外は、すべて同乗者はいない。
一人で運転している時というのは、同乗者がいる時に比べ、注意力が極端に落ちているということは否めない事実だ。
逆に、同乗者がいる時には、注意力を高めて運転している。
ただ、これは、普段一人で運転していて、たまーに人を乗せる程度なため、その時は、注意力をMAXにできるわけで、他の人たちよりも、良い運転者というわけでもないことは言っておきたい。

さて、いただいたコメントの内容に戻る。
後ろの窓に「録画中」というステッカーを貼っている人の方が、運転マナーが悪いというものだが、自分のマナーの悪さが、煽り運転の引き金となっている可能性は大いにあるだろう。
しかし、そうした人たちが注目されたり、行動が是正されることはなく、ただただ、煽り運転は悪いこと、犯罪行為だ!となっている。

いつも書くことだが、僕は、乗っている車両からして、煽り運転を受ける側ではない。
どちらかというと、そういう車に乗っているというだけで、煽り運転をする側にカテゴライズされる側である。

もちろん、煽り運転などしたことがない、、、
などというつもりはなく、高速の追い越し車線をタラタラと走っている輩には、多少なりともプレッシャーをかけてきた経験はある。
ただ、昨今の煽り運転に対する世間の注目と、どんな車にもドライブレコーダーがついているため、ここ数年は、なるべく近づかないように気をつけているし、ある程度は、諦めるしかない時代であるとも。
どうしようもない時には、走行車線に入って、ゆっくりと追い”抜いて”いくしかない。

たまにYoutubeなどで、ドライブレコーダーの映像集なるものを見る。
その中で、マナー違反の車両に対して、クラクションを鳴らしたり、注意をしたりすると、煽り運転をくらうというものがある。
そういえば、高速道路上で停車させられ、跳ねられて死亡してしまった事件があったが、この人たちも、サービスエリアで注意したら煽り運転をくらって、、、ということだったように思う。

クラクションを鳴らすとか、注意すると言った行為は、世間一般では『正しい行為』として捉えられているのだが、それを行う人は、相手に本当に改善してほしいと思っているだろうか?
そうではなく、やられた行為に対する鬱憤ばらしか、そんな悪党は懲らしめなければならないという『正義のヒーロー』ぶりたいのか、どちらかであろう。
本当に改善してほしいのなら、相手が怒るような言い方やクラクションではダメだろう。
かといって、僕が、何かいいアイデアを持っているわけではないが、、、。

『バカは死んでも治らない』くらいに思って、さっさと忘れるのが得策ではないかと思うのだ。
『触らぬ神に祟りなし』である。

煽り運転をされる側にも必ず何かしらの過失があるし、事故をもらう側にも必ず何かある。
そのため、車が走っていれば、どんな状況であっても、過失割合が最低でも『1』となるのだろう。

事故を起こすと警官にこう聞かれる。
「自分の過失は、なんだと思いますか?」と。
1:9の事故でも、必ず問い詰められる。
「何かあるでしょう?」と。

今にしてみれば思う。
そう、必ずあるのだと。

-MARK'S LIFE:日常, VEHICLE:車