iPhoneを【探す】の精度が高い

と、思ったけど、一般的には、範囲が広すぎて見つけられないのか?
他人のことはわからないが、僕にとっては、GPSの精度が高くて助かった。

車で出かけ戻って来て、作業をして、一息ついたらiPhoneがなかった。
覚えているのは、出かけた先のスーパーでクレジットカードで支払いをした際に持っていたということ。

スーパーに置いてきてしまったか、車の中に置き忘れているか、着替えた時に置き去りにしたか、部屋の中か、どこかで落としたか?
さっぱり分からなくなったため、Macアプリ「探す」を起動。

アプリを起動する前に、あっちこっち見て回ったが、結果的には、先に「探す」アプリで見たほうが100倍早かった。
そのくらい精度が上がっている。

僕が「iPhoneを探す」を使ったのは、もう随分と前のことで、何年?いや10年以上前かもしれないくらい昔。
その頃の精度は、アプリで見ても、役に立たないレベルだった。
自分の現在位置でさえまともに表示されず、トンチンカンな場所を示していて、ちっとも役に立たなかったのが記憶にあった。
そのため、アプリで探すということは、二の次、三の次だったのだ。

しかし、今の「探す」アプリはすごい。
とはいえ、僕の場合は、車・家・クローゼット代わりの倉庫、作業場所が離れているので、GPSの精度で十分に探すことができたが、一般的には、どの部屋に置いたか?など、家の中のどこかというのを特定するには至らないのかもしれない。

今回は、「探す」でみると、家よりも少し東側にiPhoneがあることを示していた。
その場所は、ガレージである。
車の中にあると示しているので、車内をくまなく探すと、シートの脇に落ちていた。

Macの場所から、ガレージまでは15mほど、この距離の違いを表せるというのはスゴイ。
他の人はわからないが、僕にとっては救世主であった。

今の時代、スマホがないと、活動がストップしてしまうほど、重要なアイテムになった。
プライベートだけでなく、仕事でも使用することを考えると、命綱とも言えるような代物だ。
それが、たったの一つしか持っていないというのは、命取りともいえる。

パソコンでさえ、デスクトップとラップトップ、人によってはタブレットもある。
多くの機能で、スマホと連動するが、スマホでなければならないことも多い。
Apple Watchがあれば、スマホの代わりになることを思うと、一時、Apple Watchの購入を考えたが、作業をしている時になどはめていられないので却下となった。

スマホというものは便利で、必須アイテムになっているが、本当に、なければ困るのか?というと、困るよりも便利ではなくなるという方が正しい。
PCもタブレットも持っていない人にとっては、スマホがなくなれば、誰かの連絡先も分からないし、今時、人の電話番号を覚えている人もいないし、そもそも、公衆電話がないので、電話さえかけられない。

一度、東京へいく際、家にスマホを置いて来てしまったことがあった。
スマホを持たずに空港へ行ったのだ。

そうなると、まず、チケットがない。
カウンターへ行って、身分証明書を見せてチケットを発行してもらう。
羽田に到着してからは、Suicaも無いので、切符を買って電車に乗るが、経路が分からないので、経路図を見たり駅員さんに聞く。

スケジュールは、大まかに頭に入ってはいたが、細かいことはわからないので、スケジュール確認をしたいが、もちろん電話帳はない。
お店や会社の場合は、調べれば電話番号はわかるので、忘れてしまったことは、公衆電話を探して先方に確認する。
ホテルは、名前を言えばチェックインできるので問題なし。

スマホを持たない数日間を過ごしたが、実際、困ったことにはならなかった。
当たり前だけど、以前はスマホも携帯電話も、ポケベルもなかった。
それでも、なんということはなかったことを思うと、スマホをたまには持たないというのも悪くない。

スマホがあれば道順や電車の経路などは簡単にわかるが、『人に聞く』ということが、なかなか面白い経験であることを、この時思い出した。
ポツンと一軒家でも、実際、衛星の地図を見れば目的地にたどり着けるだろうが、あえて近所の人に聞くということをしている。
そうすることで、人と接し、そこにネタを見つけるのである。

人と接することなく、機械と向き合って全てが解決できる時代になってしまったことは、近くの他人との距離を遠ざける結果になったことは言うまでもない。
その代わり、遠くの人たちとのコミュニケーションは取れるようになった。
どちらが良いのか?となるところだが、やはり、両方大事にするべきなのだろう。

いつかはきっと、持ち歩くものではなく、Apple Watchののように体に取り付けるアイテムが当たり前になり、そして、体と一体化させるデバイスに進化していくのだろう。
今考えると怖い気もするが、きっと、それが当たり前の時代が来る。

そうなったら、記憶力を試すような試験は無くなり、「撮影禁止」とかいう規制もなくなり、「ゲームばかりやって!」という親の怒号もなくなる。
なんせ、目をつぶっている間、ゲームはやり放題だし、目を開けている間、撮影をし続けているし、常にネットに接続しているので、記憶力など全く無意味なのだ。
そんな時代は、いつ来るのだろう。

-MARK'S LIFE:日常