玉ねぎと人参のかき揚げ

もらった玉ねぎと、もらった玉ねぎと、買った人参と、買った人参があった。
要するに、玉ねぎと人参がたくさんあったってことなんだけど、使っても、食べても、なかなか減らず、玉ねぎは、ニョキニョキと芽が出てきて、人参はフニャフニャしだしてきたので、今日は、かき揚げをやってみた。

薪割りイベントによって、人がたくさんきてくれるのを見越して、天ぷら用に油をたっぷり買っていたけど、コロナ騒動によって、余ってしまっていたので、油の消費をしようっていう理由もある。

ちなみに、玉ねぎは、有機玉ねぎと近所のおっちゃんからもらったもので、人参は、自然栽培のものなので『味』についても検証したかったのだ。

ルンルンルンッ

やっぱり、外でやる天ぷらは楽しいなぁ。
油臭くもならないしね。

これで、食べてくれる人たちがいたらいいんだけど、たんまり揚げたかき揚げも、結局一人で「もう、喰えね〜」と、ぼやきながら食べる羽目になるんだな。

と、そんなボヤキを呟いているうちに、かき揚げが揚がった。
見た目の出来は、なかなか上出来だ。

さて、食べてみる。

うん、うまいうまい。
やっぱり、自然栽培の野菜は、通常の物と比べて、まったく味が違う。
今回の玉ねぎは、有機栽培のものだが、めちゃめちゃジューシーな感じだったので、天ぷらにしても旨かった。
やはり、自然栽培の野菜はうまいってことが、またまた検証できた。

「でも、これが、本来の野菜の味なんだよなぁ」

今まで、一体、なにを食べていたのだろう?

米や麦などの穀物も、野菜も、鶏や豚などの家畜も、卵も、何もかも、大昔は、自然界にあるものだけを吸収して育ち、それを、頂いていた。
いつからか、農薬や化学肥料というものが登場してきた。

なぜだ?なぜ、そうなったのだろう?

その最もたる原因の一つが、人間の『欲』だろう。
もっと、もっと、という果てしない欲。
『足るを知る』などという言葉は、遠くのどこかへ行ってしまい、こぞって、なにをどう “ 金 ” に替えるかばかりを追うようになってしまったのではないだろうか。
もちろん、原因は、それだけではないが、供給側だけではく、買う側も、もっと安くという『欲』に取り憑かれてきたことは確かだ。

しかし『欲』は悪者ではない

欲があればこそ、人は向上しようとするし、新しいものも生み出される。
ただ、その欲の向く方向が少々ズレた感がある。

今までは『金・金・金』に向いていた。
しかし、これからは、本当に大切なものは「命」だったり「時間」だったりということに目が向くといい。

お金がいくらあっても、健康を損ない病気になったり、死んでしまったりすれば、なんの意味もない。
時間というのは、イコール『命』とも言える。
時間をお金のために使うということは、命とお金を引き換えにしているようなもの。
そんなことをしても、命あってのお金の価値なのだから、もっと、お金以外のところに向くといいと思うのだ。

自然栽培というのは、非効率?

農薬と化学肥料を使った農業の方が効率がいいのは当然なのだが、しかし、長ーい目で見てみると、実は、割がいいとは言えない。
確かに、収量は増えるのだろうけど、その分、農薬代や肥料代がかさむ。
結局は、農協を儲けさせているだけなのではないかとも思える。

商売をし始めると、最初のうちは、売上がいくらあるかというところに目が向く。
しかし、売上が安定してくれば、今度は利益に目を向け、そして、キャッシュフローがどのくらいあるのか?というところを重視していかなければならないのだが、多くの人たちが、いつまでも売上ばかりを見て、売上が上がれば利益が出て、キャッシュが残るという考えに固執してしまう。

なので、農業においても「収量」を気にして、農薬や化学肥料を使う。
しかし、結局は、利益は少なく、イメージでは、キャッシュフローを安定させることに農薬や化学肥料が貢献しそうに見えるが、実際には、キャッシュフローは安定しない。

それよりも、僕は、素人ながらに思う。
自然の力を最大限に利用していく方が、結局のところ、利益は出るし、キャッシュフローは安定するのではないか?と。

まあ、素人の呟きなので、あまり、本気に捉えてもらいたくはないが、こうしたことを、僕は、徐々に検証していきたいと思う。

ということで、かき揚げの話とは、だいぶズレたけど、まあ、まあ、かき揚げは美味しかったってことで。

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