久々に魚焼く

しばらく前に買って冷凍してあったアジの干物を焼くことにした。
風呂を焚くのに使った薪が、まだ少し燃えていたので、そいつをコンロの中に入れ、炭を足した。

こうして一人で、夕食に魚を焼くのは久しぶりだ。
三年前、ここにきた当初は、炭火で何かを焼くのが楽しくて、よくやっていた。
当然なのだが、東京のど真ん中のマンションで、こんなことはできない。
田舎の住宅街だって、そう簡単にはいかないだろう。

周りに民家がない事が、これほど気楽で自由だということを、当初は、存分に感じ、味わっていた。

しかし、今では、ほとんどやらない。
言うなれば

『飽きた』

のである。

今までは、いろんなことをやるのが楽しかった。
しかし、今では、やってきた多くのことに飽きた。
正直言って、ログガレージの建築も、飽きているのである。
それでも、なんとか頑張って完成させないといけないという気持ちで、たまにやっているのだが、遅々として進まない。
今日も、なんとか頑張ってみたものの、ほんの1時間程度でやめてしまった。

やっていることに飽きたというのは事実だが、実際には、

一人でやることに飽きた

のである。

コロナショックによって、薪割りイベントには、4月に入った頃から、ほとんど人が来なくなり、予定では、ゴールデンウィークにラストスパートをして、倒してあるヒノキの丸太を全部、薪にできる予定でいたのだが、それは叶わず、結局、放置したままになってしまった。
新しく買ったエンジン薪割り機も、カバーをかけたままだ。

この薪割りに関しても、一人では、まったく進まなかったのだが、人に来てもらうことで、何倍もの速度で薪が生産されていったし、自分自身も、嫌にならずに作業をする事が出来ていた。
薪割りには飽きても、人と一緒に何かをやることで、別の楽しみが出来たのである。

結局、一年前にヤギを飼い始めたのも、寂しいとかいうことではなく、単純に一人でいるのが飽きたからというのが大きい。
ヤギを相手にし、犬を引き入れ、烏骨鶏まで飼い始めた。

しかし、この動物たちとのコミュニケーションも、CHAR(チビヤギ)の行方不明事件から、狂い始めた。
CHARがいなくなり、OPERA(オスヤギ)が、麓の民家まで降りていってしまうため、紐で繋がなければならなくなり、行動を共にしなくなった。
OPERAを紐でつないでいるため、FAN(犬)も自分も繋がれるのではないか?という思いから、僕との距離を取るようになってしまった。
烏骨鶏は、近づいてはくるが、犬やヤギとはまったく違う。

結局、OPERAを朝、外に出し、夕方、小屋に入れることと、FANに餌をやるという、ルーティーンだけの接点しかなくなってしまった。
正直、毎日が、まったく面白くなくなってしまったのだ。

そこに、コロナショックのダメージがジリジリと攻め込んできた。
今月は、まだ耐えられる予定だが、来月には、会社のお金がキャッシュアウトする。

もちろん融資を受けに行くので、首はつながるが、融資というのは、結局は借金のため返さなければならない。
せっかく、この山奥で、借金の返済が終わるまでは、じーっと大人しく過ごす予定でいたのに、予定が狂ってしまった。

アフターコロナがどうなるのか?ということを世間では言われているが、世間がどうなるかということよりも、自分がどうしていけばいいのかという方が、僕にとってはとても重要なことだ。
いったい、どうしたらいいのだろう?

ちなみに、冷凍してあったアジの干物は、まったく美味しくはなかった。
冷凍しちゃったってこともあるけど、スーパーで買ったのも間違いだったのだろう。
こっちに来た時「美味しい瀬戸内の魚が豊富だ」と聞いていたが、まともな旨い魚に、ほとんど巡り会ったことはない。
自分で釣った魚はうまかったけど。

早朝、ジッとこっちを見つめるFANとOPERA
紐で繋がなければならなくなったOPERA
繋がれるのを警戒して、距離を取るようになってしまったFAN

-ANIMAL:動物, COOK:料理, MARK'S LIFE:日常