半凶って初めて見た

おみくじを引いた。
『半凶』が出た。
初めて、反響なんてものがあることを知った。

きっと、吉と凶から始まって、だんだんと細かく分散されていったのだろう。
ボクシングの階級も、今は、何が何だかわからなくなっているけど、
おみくじも種類が多くなってくると、なにが何より良いとか悪いとか、よくわからなくなってくる。
小吉と末吉って、どっちがいいの?とか。

おみくじの種類についてググってみると、、、
【一般的に「大吉」「中吉」「小吉」「吉」「末吉」「凶」「大凶」の7種類が主流】と書かれていて、さらに、
【12種類のおみくじは、「大吉」「中吉」「小吉」「吉」「半吉」「末吉」「末小吉」「凶」「小凶」「半凶」「末凶」「大凶」の順番で構成されることが多いです】だそうだ。
さらにさらに、17種というのもあるらしく
【伏見稲荷大社でなんと17種類おみくじの結果があります。 大大吉>大吉>凶後大吉>凶後吉>末大吉>末吉>向大吉>吉>中吉>小吉>小凶後吉>後吉>吉凶未分末大吉>吉凶不分末吉>吉凶相半>吉凶相交末吉>吉凶相央となります】とのこと。
もうすでに意味不明。

7種と12種では、小吉の方が、末吉よりも良くなってるが、17種では、末吉の方が良いらしい、、、
まあ、もう、どっちでもいいか。

ってことで、今回は、近所の神社で引いたんだけど、そこのおみくじは12種だってことだな。
でも、7種でいいんじゃないかな?
小凶、半凶、末凶とか、どれも一緒だろ。

それはさておき、中身はというと『苦労多し』『実力で良い方向に向く』『静かに心育てよ』とのことだ。
このおみくじを奥さんに見せたところ、2024がこんな感じだったんじゃない?というので、昨年のおみくじをあらためて見てみたら、、、
『末吉』『思うようにいかない』『力まず待て』『実力を蓄えよ』とあり、ほとんど一緒だった。
ちなみに、去年のおみくじは、奥さんの実家近くの神社で引いているので、去年と今年のおみくじ自体の関連性はない。
のに、ほとんど同じ内容だった。

大吉よりも、大凶を好む

僕には、おみくじ関する哲学がある。
それは『大吉よりも、大凶の方が良い』というものだ。

これは、僕が、今までの人生での統計から導き出したもの。
おみくじというのは、年に一度は引く。
自分でお金を出しておみくじを引いたのが10代後半だとすれば、合計30数回は引いていることになる。

年始に引いて、年末に振り返り、おみくじと一年の歩みを比べてきたところ、どうも、大吉などの良い運勢が出た年よりも、大凶などの悪い運勢が出た年の方が良かったという結果になった。
これは、20代前半で、薄々と感じていて、それ以来ずっと、悪い運勢のおみくじを願って引いているのである。

ということで『半凶』というのは、かなりいい。

では、なぜそうなるか?
実は、単純に、悪い運勢のおみくじが出たら、良い運勢になるわけではない。
新年の心構えを行うにあたって、悪い運勢のおみくじには大概『努力しろ』というようなことが書かれている。
今回も『怠けず精力的に取り組め』とか『実力で良い方向に向く』とか。

大吉を引くと大概『うまくいく』とか『希望がある』とか、なんだか、何もしないでもいいことがありそうなことが書かれている。
こういうのを見ると、新年の気合いがどうにも入らない。
だって、何もしなくてもいいんだから。

それよりも『精進せい!』『努力せい!』『怠けたら落ちるぞ!』とか、そんな風に新年から言われたら、
「それじゃあ、一丁、やったろうやないけ!!」と気合いが入る。
それを、心にガッチリと新年に刻む。
そんな風にして、一年を過ごすと、年末には、、、

「いや〜、今年もいい年だったわぁ」

と、なるものなのだ。
他の人たちから見ると、僕の2024年というのは、ちょっと悲惨に見えるかもしれない。

年始から始めたイノシシの罠猟において、ワイヤーが切れてイノシシに突っ込まれ、体力的にも精神的にも限界値に達している中、ダニに噛まれ、日光アレルギーになってしまい、全身に発疹が発症。
日光にまったく当たることができない体になり、山での作業はおろか、買い物に行くことすらままならないという状態に陥ってしまった。
全身の発疹は引いたものの、手の甲だけは今でも残り、車を1時間運転してスーパーに行くだけでも、手の甲はブツブツだらけのゾンビ状態になってしまう。
広大な山に住みながら、外に出ることもままならず、小さな小屋の中で、一日中過ごしている。

と、こう聞くと「わぁ〜、悲惨、、、」と思えるだろう。
末吉どころか、大大凶っぽい。

しかし、僕は、2024年は、大吉というと大袈裟だけど、だけど、中吉くらいは言っていいと思っている。
前回のブログにも書いたが、人生なんていうものは

【災転じて福となす】とか【ピンチはチャンス】とか、まあ、そんなものなのだ。
福は大福となることは滅多になく、チャンスは大チャンスとなることも滅多にない。
それよりも、バネのように、一度、思いっきり縮んでから、大きく跳ね上がるというのは、バネに限らず人生でも同じなのである。

だから、今年のおみくじも【半凶】が出てラッキーなのである。
そこには、『苦労多い』と書かれてはいるが、それだけで終わらず、『怠けず精力的に』『実力で良い方向へ』と、書かれている。
何にもしなければ苦労ばかりだが、頑張れば良くなると書かれているのだ。

こういうことは、大凶を引いても同じ。
『何をやってもダメダメで人生終わってる』と書かれていることも、そうなることもない。
必ず、努力は報われると書かれているし、そうなるものなのだ。

そう言うと「努力しているのに報われない」と嘆く人もいるだろうが、まあ自分で努力してるって思っているようなことというのは、所詮、努力のうちに入らないというのが僕の考え。
他の人から見て「あんた、努力家だな」とか「頑張ってるねー」とか言われた時に「あ〜、俺って努力してきたんだな」って具合。

もしも、自分で「努力しているのに報われない」と思っていたとしたら、やってることやめた方がいいように思う。
きっと、方向性っていうやつが違うように思えるんだよね。
一番いいのは、やっぱり

好きこそ物の上手なれ

だと、僕は思うのだな。
やりたいことをやるのが一番。
で、つまんなかったらやめる。
自分勝手に、好き放題生きる。

「生活がぁ」とか「お金がぁ」とか「家族がぁ」とか「仕事がぁ」とか、いろんなしがらみにがんじがらめにされているかもしれないけど、そんながんじがらめのしがらみなんてブチ切って、好きなことに邁進するのが、僕流であり、人生にっちもさっちもいかないという人にもオススメ。
でも、そうすると、大概、周りの人たちから怒られたり、嫌われたり、無視されたりと、いろんなことがあるけれど、とりあえず1年、できれば3年は、それでも走り続けてみる。

すると「あ〜ら不思議」

どっかの誰かが、少しずつ認めてくれるようになってくる。
この『第三者の承認』というのが膨らんでくるのがポイント。
例えば『お店をやりたい!』と思って、周囲の反対を押し切って始めたとする。
で、お客さんが認めてくれれば『第三者からの承認』を得たことになり、身近な人たちも認めてくれる。
それがテレビに取り上げられたりすると、もうこれは、絶対的な承認。

You tubeのチャンネル登録者数が10万人を突破するでもいいし、SNSのフォロワー数でもいい。
とにかく第三者からの承認を得られれば、ひとまず大成功ってことなわけだ。

こういうことを言うと、今度は『失敗したらどうする?』と言う人がいる。
失敗というのは第三者が決めることではない。
自分が『失敗』と決めれば失敗なんだろうけど、まだまだ、これからだと思えば、まだまだなのである。

だから基本的に『失敗』というものは無いというのが、僕の持論だ。
成功するまで、とにかくやり続けること。
上手くいかなければ、やり方を変えたり、目指す方向を変えたりすればいい。

決めたことを達成できなくて、別のことに変えたとしても、それはそれでいいのだ。
何に失敗したくなくて、何に成功したいのかといえば、それはただ一つ。

人生にである!

最後の最後、人生を成功させれば良いのだ。
だから、途中に何があろうと、何も失敗に値しない。
僕は、そう思って人生を生きている。
そして、今年は、半凶という変な運勢を背負いながら、一年を頑張ってみようと思うのである。

-MARK'S LIFE:日常