それは、瀬戸内海と、たくさんの島々と、三つの橋、そして、対岸の都会の風景。
今回、二泊三日で京都へ製材機の研修?に行ってきた。
広島に、いい中古車があったので見に行こうと思っていたところ、ちょうどいいタイミングで京都での研修の案内が入った。
京都までの道のりの途中に、しまなみ海道を渡って広島に寄れると算段。
帰りには、香川でうどんを食べて帰ろうという計画を立てて二泊三日の旅へ行くことにした。
しまなみ海道
しまなみ海道は、サイクリングロードとして全国的に有名になっている。
車で走ると、一応は高速道路なので、のんびりと景色を眺めていられない。
そこは、やはり自転車が最高に良さそうだと感じる。
しまなみという名が示す通り、たくさんの島々があり、海と島、そして橋の重なる景色が見られる。
景色として、本当に素晴らしい。
広島の中古屋さんに寄って車を見て、一日目は、兵庫の西脇市のホテルに一泊することにした。
車に乗りながら、飲み物を飲もうと水筒を手に、、、あれっ?
水筒がないことに気がついた。
なんと、水筒だけでなく、スーツケースを丸ごと忘れてきてしまったのである。
車を駐車場から出してから、スーツケースを入れようと思っていたのだが、駐車場から出し、そのまま出発してしまったのであった。
とはいえ、iPhoneは持っているし、財布もある。
残りは、服くらいなので、買うことにした。
西脇市のワークマンへ行き、翌日の研修のための作業服を買う。
そして、ユニクロに行き、インナー類を揃えて完了。
クレジットカード一枚あれば、まあなんとかなるものだ。
翌日、西脇市から京都美山まで、早朝に走り、林業研修を終えて、今度は兵庫明石まで戻ってきた。
明石海峡大橋と淡路島
翌日、明石から明石海峡大橋を渡り淡路島へ。
淡路島から、神戸方面を眺めると、しまなみ海道の自然豊かな景色とは対照的に、対岸に都会の景色が並ぶ。
海と橋と遠くに見える都会の景色。
これは、これで、またいい。
高速を降りて、最近話題の淡路島北淡へ行ってみた。
なんだか、話題のレストランのような何かがあるらしい。
それはクラフトサーカスというところで、到着すると、海辺によくある地中海風の白と青の建物が見えた。
いろんな飲食店があるのかと思っていたが、実際には、フードコートのようになっていて、特にいろんなお店があるわけでもなく、ピザとバーガーとパスタくらい。
思っていたのとは違った。
なぜ、みんなここに来るのか?何が話題なのか?よくわからないまま、この場を後にした。
予想外に早く終わってしまったので、野島断層保存館なる場所へ行ってみることにした。
ここは、阪神淡路大震災の時にズレた断層をそのまま保存してあるとのこと。
到着して、いざ、入ろうと思ったら、バスが来た。
それも、4台。
どうやら、中学生?
一緒になると、見学どころではなく、うるさくて仕方がないだろうから、ささっと館内に入った。
きっと、中学生たちは、点呼とか、諸注意を聞いてから入ってくるから、まだ時間は少しはあるだろうと踏んだのだ。
館内に入ると、シーンとしていてとても静か。
平日の朝っぱらから、こんなところに来る人はいないだろう、、、と、思ったら、ちょろちょろとお客さんがいた。
それも、定年後の老人ではない人々。
珍しいものだ。
僕は、今までに、日本中いろんなところに行っているが、平日の真っ昼間など、老人比率が圧倒的に高く、日本の縮図を垣間見ているように思っていたのだが、意外にも老人を見かけないのに驚いた。
そういえば、クラフトサーカスでも、家族で来ている中に一人おじいさんがいただけで、あとは、高齢者ではなかった。
淡路島という場所が、大阪や神戸から来やすいために、そうした方面からのお客さんが多く、淡路島の高齢者が来ることはないし、車でのアクセスに限られるため、年齢の比率が若いのかもしれない。
オモシロイことを発見できた。
クラフトサーカスをはじめ、淡路島北淡が人気なのは、大阪・神戸からの近さにあるのだろう。
1時間程度で、都会の喧騒から完全に解放され、雄大な海と自然を満喫できるのだから、関西の人々にとって良い観光地になっているのだ。
東京の場合は、1時間では、都内を出るのに精一杯。
最も近くといっても、湘南や鎌倉である。
淡路のように、のんびり過ごせる場所まで行くとしたら、アクララインを渡って房総半島か箱根まで行くしかない。
徳島道と高松道
淡路を出て、鳴門海峡を眺めて徳島へ入る。
ここから、愛媛に行くには、徳島道を通るのが近いのだが、あえて遠回りの高松道へ入る。
以前、徳島道を選択した際「これはいかんな」と思ったのが、ずっと一車線なのである。
なので、高速道路なのに、距離が近い徳島道を選択すると余計に時間がかかることがわかった。
前回は、製材機を取りに行くためにトラックだったために、一車線でも問題なかったが、今回はポルシェであるから、うどんを食べなくても高松道を選択するのが正解だったのだ。
ちなみに、しまなみ海道も一車線である。
さらに、松山から南へ向かう松山道も一車線である。
しまなみ海道は、景色を見ながらのんびりと走るので一車線でもなんら構わないが、徳島道と松山道は、ズバリ言って「通る意味無し」である。
松山道など、距離も時間も、遅い車に捕まってしまえば、下道となんら変わりないのだ。
ってことで、高松道に入って、適当に検索したうどん屋さん「山田家」へ行ってみた。
ここは、うどんツアーで行くような場所ではなく、ちゃんとした定食系のうどんを提供する店だった。
店構えは、高級料亭のようで、武家屋敷のような場所だ。
平日でも、お客さんで溢れていた。
こちらは、淡路島で感じた年齢層とは違い、THE日本の縮図的に、半数は老人が占めていた。
それでも、やはり車でのアクセス限定の場所となると、老人の数は減るのだろうか?
それとも、コロナ第八派を恐れて、まだまだ、外出を控えているのだろうか?
老人たちが年金を使わないで、貯金に回してばかりいては、こっちは税金を取られるばっかりで経済はちっとも良くならない。
かといって、老人ばかりで混雑するのも嫌だし、遊んでばかりの老人のために、若者たちが必死こいて働いていると思うのも気分が悪い。
なかなか難しい問題だな。
高松道に再び乗り、高速を西へ。
あとは、松山まで2車線道路を快適に走る。
瀬戸大橋
本州と四国を結んだ最初の橋が、瀬戸大橋である。
僕は、この時、ニュースでこの光景を見ていた。
開通が1988年4月とのことなので、僕が高校1年生の時だ。
今となっては、3本もの橋が本州と四国にかかっており、四国が島国という印象はないが、多くの四国民にとっては、橋がかかったのはつい最近のことで、四国は本州とは違うという印象があるらしい。
瀬戸大橋が1988年、明石海峡が1998年、しまなみ海道が2006年に全線開通している。
そう思うと、僕くらいの年代以前の人たちにとっては、本州とは遠いところという印象があっても不思議ではない。
しかし、よく、3本もの橋をかけたものだと感心する。
瀬戸大橋は、バブル真っ只中に作られただけあって、造りがすごい。
東京にいると、橋といえば、ベイブリッジやレインボーブリッジなのだが、そんなものとは比べ物にならないほどの、壮観な橋が瀬戸大橋なのである。
ここは、しまなみ海道や明石海峡大橋の、景色と橋の融合の素晴らしさとは違って、橋そのものが完全にメインの見どころである。
きっと、日本中探しても、ここまですごい橋はないのではないかと思えるほどなのだ。
今回は、瀬戸大橋は通らずに、松山に戻ったが、瀬戸大橋というのは、香川から、岡山に続いている。
岡山に用事がある人は、当然瀬戸大橋を利用するが、多くの人は、大阪や神戸方面に用事があると考えると、明石海峡を通ることになる。
瀬戸大橋って、通行量どの程度あるのだろう?とふと思ってしまったが、それはいいとして。
まとめ
僕が四国に移住してよかったと思ったことの一つが、海と島と橋の景色であるわけだ。
多くは、飛行機で移動してしまうが、車で橋を渡って景色を眺めるだけでも、一つの観光として成り立つことを実感した。
今度は、しまなみ街道を自転車で走って、のんびりと雄大な景色を楽しんでみたいと思うが、、、