田舎暮らしといえば「焚き火」も、その一つにあげられるだろう。
しかし、この山に来て1年半以上経っても、僕は、焚き火をしなかった。
理由は、予想がつくと思うが、その通り。
「山火事」が怖いからである。
風に舞って、まだ赤く燃えている火の粉が飛び。
ふわりと優しく降りたとしても、そこが木の枝とか、落ち葉とか、周りは燃えるものばかり、気が付いた時には、時すでに遅し。
という事態になり兼ねない。
特に冬は空気が乾燥していて、木々も葉っぱもよく燃える。
そのため、当然、焚き火にもいい季節なのではある。
1年半が経ち、何が危険で、どうすれば安全に焚き火ができるか、おおよそ見当がついてきた。
ヒントをくれたのはジャイアンである。
集落から、僕の家までの間に、ジャイアンの倉庫がある。
ジャイアンは、そこで、たまに焚き火をしているのだ。
今まで、3回ほど、焚き火現場に遭遇したのだが、3回とも雨の日だった。
そして、風もない日。
危険な風と、小さな火など消してしまう雨。
この2つの条件を見極めれば、少なくとも、そうでない日よりも安全に焚き火ができることを知ったのだ。
そして、この日の天気予報は、夕方から雨。さらに、翌日も雨の予報だった。
それならば、絶好の焚き火日和である。
そもそも、なぜ焚き火をするのかというと、のんびりと火に当たろうってわけではない。
今までに、伐採した木の枝などが山済みで、かなり貴重な平地スペースを奪っていたため、こいつらをなんとかコンパクトに縮小する必要があったのだ。
実は、木なら、まとめてしまえば、その利用価値を考えれば、さほど邪魔にならないのだが、枝というのは、対して利用価値がないにも関わらず、地上に横たわっていると、ガバッと広がっているため、非常にスペースを取る。
まあ、要するに邪魔なのである。
さらに、葉っぱのように土に還るもの遅い。
ってことで、枝は、焚き火をして、炭素に変換し、畑の肥やしになっていただくのが良い。
という結論で、焚き火をするわけなのだ。
初めは小さく燃やすが、火が落ち着いてきたら、でかい木でもそのまま投入。
それでも、意外に、火は必要以上に広がることはなく、落ち着いて燃えている。
たまに、火の粉が舞うが、一応、半径5m以内には何もないので、大丈夫であった。
こうして自分で、大きな焚き火をしたのは、きっと人生で初めてだと思う。
思い出せるのは、学生時代のキャンプファイヤーくらいなものだ。
あとは、料理をするために、小さく燃やす程度。
今回、大きく火を扱ってみたが、思っていたよりも、怖いものではなかった。
気を抜いて、舐めてかかれば、絶対に危険なものであることは当然だろうが、気をつけていれば、それほどでもないし、3、4mもあるような木を放り込んでも大丈夫だったのは意外だった。
火の周りは、かなりの温度になるので、これから温かくなればやる気にならないが、また、寒い時に、やってみることにしたい。
やっぱり、火はいいものだ。
美しいものには棘があるというが、危険なもののには美しさが秘められているのかもしれない。