12,000円もろうた。うっしっし。
なんだか不思議な気分だった。
久々に、雇われて働いたのだ。
仕事は、いつもの不動産屋さんが、(多分)所有の土地の大きな木の伐採と片付けに人手が足りなかったらしく、日々、木を切りまくっている僕にお呼びがかかったというわけ。
なんてったって、デカイのと、ちっこいのと、チェーンソー2つも持っているからね。
さらに、ワイヤーロープだとか、ウインチだとか、装備は一通り揃っているのだ。
昨日と、今日と、午前中のみ働いて、12,000円
労働収入というのは、一般的に、時給とか、日給とかで支払われるもので、この2日間も、時給かな?
時給といえば!
話は、少し脱線するけど、愛媛を含め、四国の最低賃金って、すげー低い。
東京が、時給958円に対して、愛媛は、739円、一番低いのが九州地方で、737円。
まあ、ほぼ、最低と言ってもいいでしょう。
それでいながら、物価は、東京(近郊の住宅街)よりも、1-2割は高い。
その代わり、当然なのだけど、とこの地域であっても、基本的に、地物は安い。
地物のトップバッターは、やっぱり、不動産。
たぶん、きっと、最低賃金が高い地域は、不動産が高く、低い地域は、不動産が安いはずなのだ。
・・・まあ、いいや。脱線しすぎた。
ほんの、数時間しか働いていないけど、いろいろと考えさせられることがあった。
もう、経営者として18年もやっているので、「雇われる」という感覚を忘れていたけど、少し、思い出したこともあり、新しい発見もあり、とっても有意義な経験だった。
経営者としての仕事とは、「結果」「成果」「利益」を出すこと。だが、
労働者としての仕事は、多く人がそれとは異なる考えを持っていると思う。
仕事とは、「ストレスや苦痛、苦悩、疲労などの代償」「労働に携わった時間」「懸命に行った過程に対する評価」というところだろうか?
僕が、今回、仕事をしながら一番感じていたことは、
「サボっても、一生懸命やっても、同じ額がもらえる」ことと、
「与えられた仕事に対して考えなくても給料はもらえる」こと。
この二つを感じた時、サラリーマンってすげーなって思った。
そして同時に、経営者として、サボる人と懸命にやる人がいる時に、サボる人がいてしまうのは、つまらない仕事しか与えられていない、経営者の責任だろうと思った。
そしてもう一つ。
考えて仕事をする人と、考えないで仕事をする人がいる中でも、考えないのは、考える能力の欠如ではなく、考えたくなるように仕向けていない経営者の責任だろうとも思った。
というか、自分の会社で仕事をしてもらう以上は、従業員の責任にしても、何の意味も発展もないし、解決もしないということだから、自分がなんとかする方法のみに意識を向けた方がいいってことだ。
今回、雇われる立場として、当然、一生懸命やったし、考えて行動したとも思う。
それは、なぜか?
僕が、仕事に対して、そのように向き合っているからというのはあると思うが、最も大きいところは、「その仕事が面白いか?」「その仕事が得意になってできるか?」「その仕事を通じて金銭以外のメリットはあるか?」「その仕事を与えている人物の役に立ちたいと考えているか?」「経過ではなく、結果を楽しみにできているか?」というあたり。
経営者として、そういったことを、従業員に対して与えられていることが、結局は、懸命に働くか、考えて行動するかということにつながってくるような気がした。
給料が同じならサボる。ではなく、給料とは別の部分に、懸命にやるメリットがあることが大切だし、考えるか考えないかは、考えてやれる仕事、要するに「任せてもらえる仕事」を出来ていることも重要だろう。
そうすれば、サボっても給料が一緒でも、懸命にやりたいと思うし、考えなくてもいいけど、考えてやれる方が楽しい。
そして、経営者として大切だなぁと思ったこと。
「従業員が、安心して働けるか?」
これって、すげー重要だと思った。
何に安心できることが必要かというと、まずは「給料」
結果にかかわらず、一定額の給料がもらえるというのは、本当に安心する。僕は、今回の12,000円だけだけど、どんな風でも12,000円もらえるんだ、「金銭について心配しなくてもいいんだ」と思ったら、すげー安心するな。と、思ったよ。
そして、「雇用」
僕の場合は、たったの2日間だったけど、雇用の安定は、給料の安定でもあるからね。
最後は、「仕事内容」
仕事に対して、「慣れた仕事」「得意な仕事」「好きな仕事」ということは、非常に重要だと感じた。
今回の僕の仕事は、木の伐採だから、山でやっていることと同じだ。
なので、「慣れている」そのことは、ストレスを軽減させ、効率をアップさせた。
慣れれば、得意になるから、それもいい。
慣れてしまってから、やり方に関して、違う方法を指図されたりしては、ストレスは増大し、効率は落ちてしまう。
だから、経営者としては、慣れる前に、正しい?いや、会社にとって都合のいいやり方をマスターしてもらう必要だあるだろう。
だから、新入社員は、新卒や未経験がいいんだな
。
それでなければ、すでに慣れている方法よりも、もっと、いい方法がある、身につけたくなる方法があることを、知りたくなるように教えるのもありだろう。
指示ではなく、伝授のように、従業員側から知りたくなる、やりたくなることが大切だ。
そして、最後は、好きかどうかだが、やる前から好きだの嫌いだのというが、やり始めてから、好きになるという方法も大いにある。
労働すること自体が好きかどうか、というのが、一般的な、好き嫌いの定義だが、結果が好きでも、準備が好きでも、相手が好きでも、一部分が好きというだけでもいいのだと思う。
例えば、今回の僕の労働で考えてみると、木を切るのは、確かに慣れているけど、枝切りが主だったので、それほど伐採が楽しかったわけではない、それよりも、切った木を放り投げるのが面白くてやっていた。
ハンマー投げのように、遠心力をつけて「トリャッー!」と投げとばす。
これが、いいトレーニングにもなるし、遠くまで飛ぶと面白いし、どう投げれば遠くまで飛ばせるか考えながらやってみた。
そんな、好きになれる部分を、従業員が見つけられればいいが、そうではない場合は、経営者が仕掛けを作ることも大事だろう。
例えば、僕が、丸太を投げるのを楽しんでやっていた時に、「それ投げなくていいよ、置いておいて」と言われたら、僕の楽しみが一つ減ってしまう。
もちろん「投げずに持っていけ」と言われてもつまらない。
逆に「遠くに飛ばす方法教えてやるよ」と言われれば、きっと、もっと燃えてやるだろう。
または、投げていること自体が、仕事全体の効率を下げてしまっていたとしたら、経営者としては、もっと面白いものを提供してあげることで、モチベーションを下げずに、重要な仕事へシフトさせていくことができる。
逆に、そうした導きによってコントロールすることも大切だろう。
まあ、とにかく、貴重な2日間だった。
そして、貴重な、12,000円だ。
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