そもそも、「失敗」って、しちゃいけないのか?

そもそも、「成功」っていうのは、いつから、金持ちのことをいうようになったのか?

「成功者」って、考えてみたら、人生において、ほとんどの人は成功者ではないだろうか?

子供を立派に育てた。

会社に定年まで無事に勤めた。

長生きしている。

健康に生きている。

今、幸せである。

やりたいことをやっている。

などなど。

人生の道半ばにおいて、人と比べて収入が多い人のことを「成功者」と呼ぶのは、どうにも違和感がある。

しかし、僕自身も45年間生きてきて思うことがあるのだが、成功者と呼ばれる人は、そうでない人と比べてもきっと、めちゃめちゃ多くの失敗を経験していると思うのだ。

そもそも「失敗」をしちゃいけないって、誰に教わったのか?

誰が言い始めたのか?

どこで、そうなってしまったんだろう?

もしかして、人間という存在ができたころから「失敗はいけないもの」と定義されていたのだろうか?

本能に刻みこまれているのか?

もちろん、失敗よりも成功の方がいいのは当然なのだが、失敗の先に成功があるということを、僕は教わったことがない。

自分で、失敗をしてみて、その後、成功するという経験を繰り返してきたことによって、「失敗は成功の元」ということを体現してきた。

そのため、失敗すると、成功に一歩近づいたと考えることができるようになっていったのだ。

僕は考えてみた。

いつから?は、わからないにしても、どんな人が「失敗はしてはいけないもの」という考え方をしているのだろう?と。

それは、まず、失敗をあまりしたことがない人であると思う。

そして、失敗をあまりしないというのは、無謀なチャレンジをあまりしない人であるということも言える。

そんな人の中には、慎重に慎重を期すという考えにおいて行動し、失敗を回避するという行動をする人もいるだろう。

それは、それで、僕にはない素晴らしい才能だと感心する。

そして、もう一例思いつくのが、小さい頃に失敗して怒られるとか、辱められるとか、無能呼ばわりされるなど、子供の頃に失敗することによって傷ついた経験を持つ人もいるだろう。

そんな人は「失敗はしたくない」と思うのは当然だと思う。

そのことによって、チャレンジしなくなり、無難な人生を選択するという人もいるだろう。

ここでいくら「失敗はしてもいいんだ!」と声だかに叫んでみたところで、そんな声に耳を傾けて、自分の人生観を変化させるということないとは思うが、僕はというと、失敗してはいけないということを、子供の頃に刷り込まれたという記憶はあまりなく、昔から、自分勝手に行動していたのを思い出す。

子供の頃に影響を受けたことを、他人の責任にして、人生を過ごすことはナンセンスであるが、人それぞれ、どんな人生を送ろうと勝手だ。

ただ、「失敗してはいけない」と思い込んでいたり、「失敗は怖い」とか「失敗すると成功できない」などと思っているとしたら、「そんなことはないよん」と、言ってあげたい。

逆に、「失敗は成功の元」と言われるように、失敗の先に成功というものがあることも言いたい。

「過程が大事」ということを聞くことがあるだろう。

この過程とは、進行途中のことで、その先に、成功があることを示すものだと思うが、この言葉の意味を自分都合で捉えていることがある。

それは、「頑張った!」ことを「過程」としていることである。

頑張ったことは、過程ではない。

それは結果である。

「頑張った!・・・けど、うまくいかなかった」でも、過程が大事だから評価してくれ。ということだろうが、これは、単なる失敗に過ぎない。

失敗してやめただけだ。

過程とは、「失敗を繰り返しても、成功へ一歩ずつ確実に近づいていることである」のだ。

成功へ近づいているので、失敗して終了ではない。だから、途中経過を評価するべきということだ。

さらに、僕は思ったことがある。

「失敗することは、成功することよりも、貴重な経験である」と言うこと。

経験は、お金では買えない。と思っている人がいるかもしれないが、結構そうではない。

経験も、お金で買える。

「経験」と言うものをサービスとして提供している企業や個人は多い。

例えば、農業体験とか、林業体験とか。

ジェットコースターやお化け屋敷も体験だ。

最近では、リアル◯◯ゲームとかいうのも多い。

これらは、基本的に「成功体験」を提供する。

「成功体験」が多いほど、成功しやすいと言われる。

なので、親が子供に成功体験をたくさんさせる。

これは、とてもいいことだと思う。

しかし、成功を体験することで、失敗に強くなることはない。

ここが、現代の若者が弱いとされているところだ。

成功もたくさんするけど、失敗もたくさんする。

いや、失敗をたくさんして、成功にたどり着くという経験こそ、貴重な体験ではないだろうか?

ハリウッド映画を見れば、常にこのパターンになっているではないか。

常に成功し続けてエンディングということはない。

必ず、大きく失敗してから、その失敗をバネにして成功してエンディングである。

これが、人生の基本パターンだと、僕は思うのだ。

「失敗」この体験は、お金では買えない。

お金を払って失敗させてくれるサービスを、僕は聞いたことがない。

(いや、あるかもしれないけど、今の所知らない。んっ?宗教は、そうかな?)

家の話に戻ると、初めから、成功を積み重ねて家が完成するとは全く思っていない。

失敗に失敗を重ねて、時には「買ったほうが安かっただろ」と言われるようなことも経験するだろう。

しかし、僕は、物を得ることが目的ではない、「経験を得るためにやっているのだ」

それも、多くの失敗を経験し、成功への道筋を探し、最終的には、成功を体験することが目的なのだ。

そして、それは、35年間の住宅ローンに縛られることのない人生を送るという、メリットもついてくるのだ。

そして、自分で作れば構造が分かる。構造がわかれば、自分で補修ができるし、増築もできる、もちろん減築できる、改造も思いのままだ。

35年の住宅ローンだけでなく、途中の補修費用や、退職金をごっそり持って行かれるリフォーム代金も不要なのだ。

「自分でやる」という
ことは、お金の節約をはるかに超えたメリットをもたらすのだ。

山を買って、木を切って、家を建てよう!

そう思うきっかけはこんな感じなのだが、そう思って行動するうちに、いろんなことを知った。

その知ったことを、いろいろと書いていこうとも思っているので。

つづく

<失敗して喜ぶオレっち。ウソ>


via Mark な 人生



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