45歳の誕生日おめでとう!俺

45年前の今日、たぶん、このくらいの朝方だったと聞いた気がしたのだが、20歳の若かりし母は、僕をこの世に産んだ。

その時、父もそばにいただろうか?

父も、たぶん、20歳そこそこだと思うのだが、この若い二人の希望が、45年前の今日、誕生したのである。

誕生日を言うと、必ず決って言われれるのが「年末の忙しい時に」である。

生まれた時に、忙しかったのは、僕ではなく、きっと、母をはじめ家族だったであろう。

「年末の・・・」と、言われるたびに、そう思うのである。

僕自身は、きっと、ただギャーギャー泣いていただけだろう。

そして、よく思うのが、正月はどうしていただろうか?ということ。

その当時でも、出産後3日で家に帰るということはないのではないかと思うと、一人病院にいたのか?

逆に、みんな正月休みだったから、病院に大集合だったか?

両家にとって、初めての子供で、初孫だから、きっと、大集合だったと思いたい。

ここで、母へ手紙でも書いてみようと思う。

封書では、なんだか大げさすぎるし、メールを打っても、きっと保存できずに、そのうち消してしまうだろうから、読むか読まないかわからないが書いてみることにする。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

母へ

まずは、おめでとう!

45年前に、母が産んだ、小さな赤ちゃんは、元気にすくすくと育ち、16歳で、あなたの元から離れてからも、無事にあの日から、45年間を生き抜きました。

そして、ありがとう!

今の僕がここにあることのすべての源は、45年前の母の頑張りによるものです。

産みの苦しみに耐え続けることをしなければ、小さな命は、この世に誕生できなかったのですから。

男は、誰しもマザコンと言いますが、きっと、本当なのでしょう。

母という存在は、孫悟空とお釈迦様のような関係にも似ている気がします。

いつも、母の手の中にいる、そして、いつでも包み込んでくれる、そんな気がするのは、きっと、気だけではなく、本当にそうだからなのだと、たまには感じるのです。

父が亡くなり、家に一人でいる母を思うと、時々、「寂しくはないか?」と思うこともあり、時々顔を出そうと思うのですが。

「いつまでも元気に」というありきたりなフレーズは、思いつきません。

まだまだ、母の人生は長そうですので、ぜひ、全く新しい、愉快な人生をこの先、送って欲しいと思います。

そのうち、家ができたら、愛媛に招待しますよ。

ありがとう、45年前の母。

おめでとう、45年生きた僕。

そして、お互いに、まだまだ長い人生を、HappyにEnjoyして生きましょう。

昌徳

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

誕生日というのは、生まれた本人が「おめでとう」と言われるが、僕は、常に同時に、産んだ母や父も「おめでとう」だろうと思う。

なんせ、産んだ両親の子供が、この世を生き抜いてきた年月の節目になるのだから。

そして、逆に、子供の方は、両親に「ありがとう」と言ってもいいのではなかろうか?と思う。

なんせ、その時に頑張って産んでくれ、育ててくれたことによって、今、生きていて、節目を迎えることができたのだから。

45年という月日は、長いとか、短いとか、正直言ってわからない。

振り返ってみると、20年前には想像できていなかった人生を送っている。

ということは、20年後も、想像を超えた人生を送っているのだろう。

人生には、常に、希望がある。

なんでも出来るし、なんでもありなんだろうと、45年間生きてみて思ったことである。

そして、いよいよ、僕の憧れた、50歳へ、あと5年と迫り、とうとう、アラフィフ(アラウンド・フィフティー)になったのだ。

50歳の時、何を思うのか、この5年の人生が楽しみにである。


via Mark な 人生



Your own website,



Ameba Ownd

-----

-MARK'S LIFE:日常