昨日、愛媛の山へ戻って来た。
今回も、いつも同様に一週間だったが、ほとんどが移動だったため、少々、疲れた。
久々に、実家を訪れるため、新幹線で浜松へ行った。
春休みのためか、桜の見頃のためか、高速道路も、新幹線も混雑していた。
浜松といっても、市街地からはすぐに遠ざかり、バスに揺られて三十分。実家のある場所は、田舎一歩手前というような地域。
そこから、今度は、母とともに、祖父母の家へ向かった。
場所は、三ケ日。
都内でも、バスの後ろにデカデカと広告を出している、三ケ日みかんの地域だ。
ここは、田舎である。
なにかの縁か、神のお導きか、何だか不思議な、浜松と松山。
本当によく似ている。
浜松は60万人都市、松山は51万人都市、どちらも同じような規模だ。
浜松は、浜に松がある。松山は、山に松がある。
戦国時代〜江戸時代の統治も、浜松は家康の居城、松山は松平家が治めていた。
そして、周辺地位では、どちらもみかんの産地だ。
三ケ日の景色は、僕がいる砥部の景色によく似ている。
といっても、日本の田舎は、どこも似ているだろうけど。
二十歳前、少しの間、祖父母の家で暮らしていたことがある。
その時は、まだ、ひいばあちゃんが生きていた。
バイクで、遅い時間に帰ってくる僕を待っていて、僕が寝るまで起きていたというのを、ずっと後で聞いた。
その影響で、ひいばあちゃんの寿命を少し縮めたかな?と、軽く罪悪感を感じたこともあった。
そんなことを思い出しながら、今回、その時以来の三ケ日での宿泊をした。
風呂が壊れてるってことで、近くの福祉センターへ
いかにも行政が作った感が満載な、過剰にでかい建物なのが、とても気に入らないが、行政施設特有の料金の安さはいい。
三百円を払って風呂に入る。
入っているのは、老人が三、四人。
脱衣所で、おじいさんが話しかけて来た。
うまく聞き取れないけど、二言三言言葉を交わす。
風呂に入ってからも、別のおじいさんが話しかけてくる。
やっぱり、田舎はいい。
田舎以外で、風呂で話しかけられることは、ほぼない。
今も、この山に来て、いろんな人たちと知り合いになれた。
みんな優しい。
今が、人生で二番目に、友達多い時期ではないだろうか?
やっぱり、田舎はいい。
それも、ど田舎は、もっといい。
三ケ日に泊まり。
翌日は、ばあちゃんの眼医者のついでに、お隣豊川市へ行き、そこから、名古屋方面へ向かい、空港近くの常滑へ行った。
本当は、名古屋へ行って、少し、名古屋散策をしようかとおもたのだが、都会へは、もう行く気になれなかった。
都会だけでなく、地方でも、どこでもそうだが、どこへ行っても、同じような風景しかない。
その土地の特徴が出ている地域など、どんどんなくなってしまっている。
目につくのは、大手企業の看板とコンビニ。
コンクリートの建造物と、建売住宅のような家ばかり。
何の面白みもない。
地方再生だとか、地位格差をなくすだとか言われているが、そんなことをするから、どんどん魅力のない地域になって行く。
そして、そんなところ、誰も行きたいと思わない。
都会に住んでいる連中が、都会の論理を当てはめていってしまっているのか、田舎の連中が、都会ぶりたいがために、真似事をしているのかわからないが、とにかく、そういうのは、僕として気に入らないのだ。
木材の産地がすぐ隣にあるのに、役場や図書館などの行政施設は、すべて、鉄筋コンクリート造りであることが、どうにも違和感を感じる。まあ、どうでもいいけど。
名古屋へ行かなかった為、予定よりも、かなり早く常滑についてしまった。
この常滑については、何のリサーチもしていない。
ただ、空港に近いため、ホテルを取っておいただけだ。
チェックイン時間にもなっていなかったため、カフェを探しに外に出たが、どうにも居心地の悪そうなカフェが二軒あっただけ。
スルーして、歩いていると「やきもの散歩道」という場所を見つけた。
どうやら、常滑焼という焼き物の待ちだったようだ。
砥部町も、砥部焼きの街だから、何となく親近感を感じた。
焼き物をやっている地域は、こんもりとした山全体が、焼き物の町というようになっている。
もともと、こうだったのか?この場所に、集約したのかわからないが、道も狭く入り組んでいて、とっても面白い。
砥部の場合は、釜巡りをしようと思ったら、車がないと厳しいが、常滑は、散歩しながら全部を回ることができるので、観光地としてよくできている。
歩いて回るので、時折カフェに入りたくなる。
さらに、食べ歩きもしたくなる。
そんな需要にも、しっかりと応えて、売上を上げているのだから、なかなかだ。
そして、中部国際空港から、松山空港へ戻って来た。
山に戻ってくると、小屋の真ん前にある桜が、七分咲きになっていた。
やっぱり、山はいい。
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