昨年、ここに引っ越して来てから、日常的に必要なものを最小限ダンボールから出し使ってきた。
その中で、家が出来るまでダンボールから出すことはないだろうと思っていたものの一つに、ウェッジウッドのティーポットやカップは出すことはないと思っていた。
他にも、ワイングラス、シャンパングラスも用はないと思っていたのだが、これらは、山に来て早々に、キッチンの上に棚を作り、その下にぶら下げることが出来るように、グラス置き場を作って、そこに収まることになった。
とはいえ、僕は、お酒をほとんど飲まないので、いや、全然と言ってもいいほどに飲まないので、ワイングラスなど使うことはないのだが、なんとなく、いつも普段遣いのコップやグラスでは、侘しさを感じることがあり、そんな時には、ワインを飲むのではなくても、ワイングラスやシャンパングラスに口をつけたくなるのだ。
酷暑の夏が過ぎ去って、朝晩などは寒さを感じられるほどになった。
さらに、今日のように雨の日は、長袖はもちろん、薄手の上着を羽織るほどの気温である。
そんな時には、やはり、温かい飲み物が欲しくなるものだ。
定番のコーヒーは、アイスからホットへ変わるだけだが、コーヒーというものは、そう何杯も飲めない。
そこで、やっぱり紅茶が飲みたくなる。
最初は、やかんで湯を沸かし、そのやかんの中へ茶葉を直接入れてみた。
しかし、どうにも美味しくない。
「あの頃のような、美味しい紅茶が飲みたい」そんな気持ちに打ち勝つことができずに、ダンボールの中からゴソゴソと、ティーポットを取り出した。
このティーポット・・・デカイのだ。
容量は、1.5Lくらいだろう。
早速、紅茶を入れてみた。
紅茶を美味しく入れるポイントは3つ。
1.それなりに、いい茶葉
2.適切な温度
3.お湯の中の空気の含有量
である。
茶葉は、京都の紅茶専門店で、お徳用のダージリン
温度は、プツプツと湧いて来てしばらくした頃(95度程度らしい)
そのお湯を、ティーポットの中に高い位置から注ぎ込み、空気の含有量を最大限にする
そうすることで、茶葉が踊って(ダンピングというようだ)美味しい紅茶が出来る。
そんな風に入れる紅茶は、実に美味しい。
うまい紅茶を飲んだのは、きっと、1年半ほどぶりであろう。
昔、皿や器、カップやグラスなど、美味しさには関係がないと思っていた。
しかし、ある時、料理は舌で味わうだけでなく、匂いや音はもちろん、目に入る料理そのものだけでなく、器やカップ、テーブル、そしてそれらを照らす照明の加減によっても大きく変わるし、手に持つカトラリーの感触や重さによっても、料理の美味さは大きく異なることに気が付いたのだ。
それは、僕が大阪に店を出し、1ヶ月のうち2週間を大阪で暮らすことを決めて、スタジオのすぐそばのワンルームマンションに住み始めた頃に感じたことだ。
その部屋は、窓からの眺めはなく、まともな光や新鮮な空気もあまり入らないような部屋だった。
最優先事項は、スタジオからの距離であって、単に寝に帰るだけだったため、部屋の快適性は無視して選んだのである。
夜、部屋に帰り、夕食を作り食べる。
その時に、非常に虚しい思いを感じたのだ。
作る料理は、東京でのメニューとなんら変わりはなかった。
鍋やフライパン、包丁などの調理器具は、東京と同じものを揃えたのだが、食器やカトラリーに関しては、こだわりがなかったことで、適当に買ったものやもらい物で済ませていた。
ある時、フッと感じたのだ。
「なんだか、貧乏くせーなぁ」と。
それは、手に持ったフォークによって感じた感触だった。
ペラッペラの安物のフォーク。
まったく手に馴染まない。重みもない。
そこで、翌日、カトラリーのセットを買って来た。
別に、さほど高い品物ではない。
食器やカトラリーを売っているお店を見つけ、セールになっていた型落ちを買った。
<大阪時代に買ったカトラリーのセット。今でも気に入って使っているゾ>
家に帰り、そのフォークを持って食事をすると・・・昨日までの虚しい感じや貧乏臭さはなくなっていた。
特別に、高価なものでなくても「ちゃんとしたもの」であれば、これほどの豊かさを感じることができるのだということを、身にしみて実感したのだ。
それから、食器やグラスなども、それなりにこだわるようになった。
もちろん、高価なものというわけではなく、選ぶ基準は「ちゃんとしたもの」である。
今回引っ張り出した、ウェッジウッドのティーポット。
ウェッジウッドというと、高価な印象があるが、買ったのはアウトレットショップ。
じっくり探せば、掘り出し物がちゃんと見つかるものなのだ。
そうそう、美味しい紅茶を入れるポイント、1つ忘れてた。
「それなりの、いい器」である。
P.S
カトラリーをカラトリーと書いてました。テヘッ
-----