僕は東京で熱帯魚を飼っていた。
いや、東京でだけでなく、浜松でも飼っていた。
実は、二十歳頃から、約25年間熱帯魚を飼っていたのだ。
とは言っても、熱帯魚が特別好きだったわけではない。
きっかけは、拾って来た犬を飼っていたのだが、ある日突然いなくなった。
と、言っても犬が自分の意思で出て行ったのではなく、連れ去られてしまったのだ。
誰に?母に。
家に帰ると、いつもなら玄関まで走ってくるはずなのに、その日は「シーン・・・」呼んでも出てこない。
電話の留守電ランプが点滅していたので押し、犬の名前「さくちゃん」を呼んでいた。
すると・・・「あっ、お母さんだけど、さくちゃん連れてったから」と言うメッセージが。
それから、さくちゃんは、二度と帰ってこなかった。
その寂しさから、熱帯魚を飼い始めたのだ。
この頃、朝から夜まで仕事のため家にいなかった。
そのため、さくちゃんは、いつも一人ぼっちで過ごしていなければならなかったのだ。
それを見かねた母が、実家に連れて行ったと言うのが経緯である。
僕も、さくちゃんが可哀想だと思っていたので、連れ戻そうとは思わなかった。
その後、さくちゃんは、父や母、妹と毎日を過ごし、老衰で亡くなるまで可愛がられたので、僕としてはよかったと思っている。
熱帯魚の話から、犬の話になってしまったが、魚の方に話を戻そう。
愛媛に来る際、当然、熱帯魚も持って来たのだが、水槽を置く場所を室内に確保出来ず、屋外に置くことになってしまった。
そして、季節は冬に。
屋外では、とても、ヒーターで水温を25度に維持することは不可能。
いや、正確には可能なのだが、電気代を考えると現実的ではなかった。
結果、熱帯魚達は寒さで死んでしまった。
それから1年。
水槽は、空っぽのまま放置されていた。
しかし、そこに、新しい住人が住むことになった。
先日、池から救出した鯉の稚魚達だ。
しばらく軽トラの荷台に作った水槽に入れていたのだが、水の循環がなく、さらに、鳥やネコ科の被害に合いそうだったため、水槽に移すことにしたのだ。
1年ぶりに水が入った。
軽トラ水槽からすくいあげた鯉達は、約50匹。
もう少し居た気がしたので、鳥かネコ科の動物にやられてしまったかもしれないが、それでも50匹ほど救えたのはよかった。
そして、熱帯魚と違って、水を温めなくてもいい。ってことは、電気代がかからない。
現在、水温は7ー9度あたりだが、元気に泳いでいる。
一つ心配なのは、水槽を支えている水槽台だ。
屋外に置いていたせいで、表面のシートが剥がれて、中のなんちゃって木材(たぶんMDF)に水分が浸透してしまっている。
この素材は、きっと水に弱い。それなのに、水槽台に使われているのは、如何なものかと思うのだが。
なので、この水槽台を変えなくてはならないのだが、今度は買うのではなく作るのだ。
今までは、こんなの作れない!と思っていたのものが、意外にも簡単に作ることができると言うことがわかってきた。
固定してしまって良いのなら(重すぎて、持ち運びが容易ではないので)コンクリートっていう手もあることもわかった。
ふっふっふ、いろいろ作るのが楽しみである。
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