統一地方選挙が始まっている、、、のか?
真っ最中なのか?
まあ、よく分かってないが、愛媛県議会議員選挙をやっているらしい。
ハガキが来て、候補者のポスターが貼られている。
麓から、たまに、何かを言っている声らしきものが聞こえてくる。
いつもの町や区の放送なら、朝7時と夜7時だが、日中に聞こえるのは、選挙カーだろう。
今までの人生、20歳から選挙権が与えられているが、まともに選挙などということを考えたことはない。
写真スタジオを経営しているときは、国会議員や、地方議員など、ちょいちょい写真を撮りに来てくれていたので、自分が投票できる場合は、お客さんに投票したりしていた。
しかし、本当に投票したいと思えるような人は、少なかった。
「政治家になど、僕よりも話し下手で、知識も経験もない人でも、なれるもんなんだな」と、よく思ったものだ。
まあ、政治家としての力量よりも、いかに選挙で勝つか、票を取るかというところに重きが置かれているのだろう。
本人よりも、ブレーンの力こそが、勝つ力に大きく影響をするのだろうな。
そう思うと、実際、経営も同じところがある。
経営は、選挙のように『勝てばいい』だけではなく、常に結果を出し続ける必要がある。
そのために、代表者の力量は必要だが、それ以上に、NO.2の力こそが経営にとっての力になる。
現代の諸葛孔明をいかに引き入れられるか?がポイントだ。
これは、代表者、政治であれば立候補者・政治家が無能で良いわけではなく、カリスマ性や経営能力、リーダーシップ能力という、数字では測りにくい能力を持っていることが重要。
自分自身が、現代の劉備玄徳のような、魅力がなければ、孔明はなびかないだろう。
政治家のことはよく知らないが、有名な会社の経営者であれば、かなり優秀なブレーンが必ずいるし、アメリカの会社などは創業者が二人というケースは多い。
有名どころでは、Appleにはスティーブ・ウォズニアック、HONDAには藤沢武夫、Microsoftにはポール・アレンなどなど。
さて、愛媛県議会銀選挙に話を戻す。
僕が住む砥部町の場合は、議席数が2席、そこに候補者は3人。
写真を見て分かる通り、1.高齢者 2.高齢者 3.若めの女性である。
昨年の参議院選挙の時から、僕は参政党に若干肩入れをしている。
今まで、政治というものを敬遠していたのが、一気に身近に感じられた出来事だった。
話を聞きたいと思う政治家が久々に出てきた感じだ。
また、ちょっと脱線すると、今までの人生において、注目した政治家といえば、まずは、田中角栄先生だ。
とはいえ、首相在職期間は、僕が生まれる前の出来事なので、リアルタイムには知らないが、それでも最初に意識した政治家であることは間違いない。
次には、ずーっと飛んで、小泉純一郎さん。
それまで、まったくつまらない政治の世界だったものを、なんだかエキサイティングな世界に作り替えたような感じだった。
そして、またしばらくつまらない政治が続いた。
安倍晋三さんは、よくやっていたけど、話を聞きたい、知りたいと思えるほどではなかった。
で、出てきた。
参政党 神谷宗平さん。
正直「そんなこと言っちゃっていいの?」とびっくり。
候補者として、政治家として、言ってはいけないことのオンパレードだったことに驚いた。
最近は、他の党の批判なんかが多くなっているので、若干、つまらない話もあるが、それでも、他の政治家よりかはあるかにマシである。
ただ、ここのところ、意外にも面白いのが、NHK党 立花考志さん。
メチャクチャだけど、今までとは全く違ったアプローチで、政治の世界を切り崩そうとしている。
ガーシーさんとか、政治家女子48党とか、戦略としての理由を聞くと納得してしまう。
さて、またまた話を戻して、愛媛県議会議員選挙だが、議席数2席に対して、候補者3名。
どんなに、参政党の女性候補者 池田さちこさんが、政治家として全くの未経験で、実力もアイデアも、頭脳も知識も、まったくもって何もなくても、ここで当選するということは、次の時代にとって必要なことだと考える。
多くの人は「この人じゃダメだろ」と思うかもしれない。
じゃあ、他の老人たちはいいのか?といえば、実際、もっとダメだ。
なぜなら、池田さんなら、何もしないで済むが、老人たちは、老人たちの都合のいいように進めてしまうからである。
そしてそれが、また次の時代に引きずられ、老人のための老人による政治がまかり通ってしまうのである。
そうさせないためにも、池田さんには当選してもらわなければならないのだ。
参政党は、昨年の参議院選挙でも全国で候補者を擁立した。
今回の地方選でも、とにかくたくさんの候補者を立てている。
そして、ほとんどの候補者は、ズブの素人。
政治家として、きっと、何もしないで任期を終える、税金泥棒のように見える。
側から見れば、メチャクチャなやり方のように思えるだろう。
しかし、見る角度を変えてみると、他の候補者や政治家はどうなんだ?というところ。
もう、老人や世襲や、利権にまみれた連中を当選させてはいけないのではないだろうか?
そんなことを思っていても、しがらみにまみれた人々は、どうしたって自民党や、現職老人議員や、頼まれたので、、、的な感じで、老人候補者へ一票を投じてしまう。
こうして、また今後も、老人たちのための、老人による政治が行われ、日本は、老人天国へとますます突き進んでいくのである。
選挙なんて馬鹿馬鹿しいと行きもしない、僕のような人たちは、選挙などへ行っても誰も知らないし、誰がなっても一緒だし、何も変わらないと思っている。
しかし、今、何かが変わらないかもしれないが、今、一票を一人一人が投じていけば、いつか、何かが変わるかもしれないと認識し、一票を未来につなげていくために投じていく必要があると思うのだ。
今までは、正直、誰にも入れたくないというのが本音であった人たちは多いだろうが、今回は『若い』というだけで、一票を投じる価値があると思ってもらいたい。