人間だけじゃなく、どんな生き物にも命がある。
山に来てから、それだけの命を奪ってきたかわからない。
今日も、ミミズコンポストの中で増えた、ミズアブの幼虫を数百匹殺した。
それも、ガスバーナーで火あぶり。
今までも、蜂を掃除機で吸い込んだり、蜂の巣を襲撃して全滅させたり、アブなんて、毎日何匹もハエ叩きで殺している。
家の中に侵入してきた虫は、ほとんど容赦なく有無も言わせず抹殺している。
昔は、そっとティッシュに包んで、そっと外に逃がしていたのに・・・
今は、そんな場合ではないのだ。
山に来て、僕は、悪魔のような殺し屋になってしまったのか!?
と、思うこともあるが、考えてみると、冷蔵庫の中には豚肉が入っている。そして、鯖も。
命の大切さ云々言っても、毎日のように、誰かが殺した肉や魚を笑顔で頬張っているではないか。
そして、「私は殺してませんよ」とでも言った顔をしている。
というか、同じ哺乳類を殺して食べているという自覚すら消えかけている。
Pigではなく、初めからPorkであったかのように思っている。
いやいや、食べている人がいる限り、殺される生き物は減らないし、殺されるために生かされている生き物はたくさんいるのだ。
その現状は、ほとんど知らない。
もちろん、僕も、豚や牛はおろか、鶏を締めるところも見たことはないのだ。
正直言って、見たくねー
でも、食いてー
自分ではやりたくねー
誰かが殺って、スライスして、パック詰めしてくれー
でも、僕は、そのうちやろうと思う。
豚や牛は、免許だか、許可だかが必要らしいけど、鶏は出来るようなので、やる時が来るだろう。
「コケーッ!!!」という、悲鳴をあげるらしいのだが・・・
命とは、重くて軽いものなのだろう。
僕としては、輪廻天性を信じているので、殺した後、余裕があれば、「次の生まれ変わりは、もっと、違う生き物として生まれてくるといい」と、上から目線で声をかけるのだ。
アブとして生まれてきて、簡単にハエ叩きで殺されるのは、なんだか切ないではないか。
でも、全宇宙から見たら、僕たち人間だって、小さな粒にもならない存在で、何億年もの歴史の中で、たったの100年弱しか生きられないなんて、アブと大差ないのではないかと思う事もある。
それでも、僕は生きることを選択し、全力で小さな力を出し切って生きるのだ。
僕は、僕の命を重く考えて、精一杯生きるのと同じように、虫も、きっと短い命でも、きっと精一杯生きているんだろう。
でも、すぐに死んでしまう。
僕だって、どんなに生きたって100年程度、それに、いつ死ぬかだってわからない。
そう思うと、命の軽さを感じる。
命って、重くって軽いものだなぁと思うよ。
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