今日は、とてつもなく怖かった。
それは、今までのように、肉体的な損傷を恐れた訳ではなく、電線の損傷と、電柱の倒壊を恐れたのだ。
聞いた話によると、電柱が倒れても、電柱が折れたりしない限りは、電力会社が、元どおりに立ててくれるらしいが、プロなら、最新の注意の元、ありえないことはない訳で、それはそれで仕方がないと思えるが、ど素人は、技術も知識も経験も不足しているのに、リスクの高い電線付近での伐採は、やるべきではないと思うのだ。
一応は、電力会社に相談して、電線が傷つかないようにカバーをかけてもらったし、僕らが想像する以上に電線は強いらしく、電線が切れると言うのは外傷で切れることは、まずないとのことなのだ。
電線が切れる時は、外側に傷がついて、その部分がショートして発火、その結果、切れるらしい。
でも、昨日のように電線に、ぶっとい木が倒れ込んだら、電線が切れない代わりに、電柱が倒れるという危険性がある。
これでも、数ヶ月の間、伐採に関して勉強してやって来たのだが、やはり、まだまだ、いろんなことを加味して、倒したい場所に、ピンポイントで倒すというのは出来ていないのだ。
さらに、昨日、今日とやっている場所が、今までの中で最大に難しい場所。
片側には電線、片側は急斜面、どっちにも倒すことはできない。
倒す場所は、電線スレスレの場所しかない。
このど素人が、正直、プロでも慎重になるであろう、そんな場所の伐倒をやっている。
そして、今日、恐怖だったわけは、やっぱり昨日の失敗が原因なのだ。
昨日は、道の向かい側にあった、松の木に掛かったことで助けられた。
松がなくて、まともに電線にかかっていたら、電柱が倒れていた可能性は高い。
今日は、昨日の木よりもはるかに太くて長い本命をやった。
<周りの杉よりも、ぐっと飛び出た巨木>
もう、今までにないくらい、慎重に、慎重を期してやっていったのだが、昨日の電線に向かって倒れていく木のイメージが何度も頭の中を駆け巡り、途中でやめたくなったが、これをやってしまわなければ、何のために、昨日の失敗があるのかわからない!と、鼓舞して、恐怖と戦いながらやっていた。
自分の命の危機や、怪我のリスクも怖いが、他人に多大な迷惑をかける(今回の場合は、電力会社)ことへの恐怖は、自分のことよりもはるかに大きいことを、まさに、身に染みて感じていた。
そういう時っていうのは、「怒られる」とか「請求される」とか、自分に向かう損失を感じることはあるかもしれないが、きっと、怒られることもないし、電柱が倒れはしても壊れる可能性としては低い。
そうなると、僕には、はっきり言ってリスクはない。
ただただ、迷惑をかけてしまうことが、怖さを倍増させていた。
電柱を倒したり、電線を切ったりしたら、かかるコストを全て請求されると思っていたの方が、気楽だ。
それならば、「切ったっていいや、倒れたっていいや」と思えるのだから。
ちなみに、電線の行く先は、ほぼ使っていない、水のポンプがあるだけで、電気が止まっても全く支障はないので。
で、木につないだワイヤーをウインチで引っ張りながら、少しずつチェーンソーを入れていった。
何度も、ウインチと木を往復して、木の傾きを確認して、もう、今までで最も慎重だったのはもちろんだが、こんなに往復したことはなかった。
そして、いよいよ、その時が来た。
少しずつ、パキッ、パキッ、という音ともに、木が傾いていく。
倒れていくすぐ隣には、別の落葉樹の枝があるのだが、その枝で方向を変えられてしまったら電線にいってしまう。
何とか、枝に影響をされないように祈り、電線にも、谷底にもいかないように・・・頼む〜という思いで見つめていた。
木が大きく傾いてきて、方向的に電線は回避できそうと思ったが、どうにも、やや谷寄り。
「あ〜、もうちょっとこっち・・・」と思ったが、もうどうしようもない。
バキバキバキバキッ!ドカーン!
<あと1mほど道路側に倒したかったが・・・。シュロの木をかすめてしまった。>
ものすごい別の木にぶち当たった音と枝の折れていく音、そして、地面に叩きつける音、全てが爆音だった。
いつもは、チェーンソーの音を遮断するために、大きなベッドホンのような耳栓をしているし、ほとんど木の根元の方にいるのだが、今日は、倒れてくる方向(もちろん、角度はズレているけど)にいたのと、木の折れる音を敏感に感じたかったため、耳栓をしていなかったので、ものすごい音がダイレクトに入って来た。
電線に引っかかる恐怖と、谷底に落ちるリスクで、僕の中で、恐怖指数がMAXほどになっていたので、余計に、音が怖かった。
今までの人生の中でも、最も恐怖だった部類に入ると思う。
恐怖って、自分ごとよりも、他人が関わることの方が恐怖だっていうことも、知っていたけど、久々に味わった。
結婚式の撮影を、僕自身がやっていた時は、金曜と土曜の夜は、本当に眠れなかった。
明日、起きれなかったら・・・と思うと、全く寝付けずに、何度撮影をやっても、それだけは慣れなかった。
毎週毎週、その恐怖でたまらず、「いつになったら、この恐怖から逃れられるのだろう・・・」と思っていのだ。
結婚式の撮影をミスすれば、どんなに何を頑張っても、取り戻すことはできないのだから、本当に恐怖だった。
今日は、久々に、それと同じ感覚を味わった。
というか、今となってみれば、「味わえた」といってもいい。
こうした感覚は、なんか、こう、「忘れてはならない」と思えたのだ。
でも、どんなに怖くてもチャレンジすることの大切さも、味わった。
昨日失敗しているから「また失敗するのではないか?」という思いは当然あるが、逆に「昨日失敗したのだから、その原因もわかっている。それならば、今日は、成功に近づいているはずなのだ!」そう思って前進することが出来たのだ。
これは、人生を生きるにおいても、とても重要で大切なことだろう。
そう感じた一日だった。
<直径で、5,60cmくらい。素人が伐採するレベルでは、かなりデカイと思う>
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