”何かをしたい”ということを、情熱という。
見返りは「期待」で情熱ではない。
悟りとは「結果」を放棄することである。
ということは
行動自体が目的であって、
それによる結果は、ただの期待?
情熱を注ぐとは、結果の期待に対してではなく、
行動そのものに対してである。
思うような結果が得られなくとも、
情熱は注がれる。
しかし、適切な行動は、適切な結果をもたらすことは明白なのだから、
適切な行動への情熱は、適切な結果を生む。
ただし、思うような結果が、本当に求める結果かどうかは、実はわからない。
思うような結果とは、単なるイメージに過ぎないことが多い。
どこかで見たか、聞いたか、人が出した結果か?
そんな程度のことを「思うような結果」と言う。
それよりも、情熱の先にある結果こそ、本当の結果である。
思うような結果などどうでも良い。
単なる羅針盤に過ぎない。
おおよそ、そっちの方向ということだけだ。
本当に求める結果は、情熱の先にある。
結果を見ず、今を見よ。
今ここにあることに情熱を全力で注ぐ。
そのことが、勝手に結果へとつながっていく。
”思うような結果”など期待せず、
情熱が生み出す、本物の結果を待てばいい。
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