東海で育ち、関東で暮らした僕には、あまり馴染みのない料理『カツオのたたき』
静岡といえば、焼津で水揚げされるカツオが有名なのだが、カツオを刺身でいただくことはあっても、あまり『たたき』と言われる調理法で食べる習慣はなかった。
カツオのたたきといえば、高知県が有名で、観光名物の一つになっている。
愛媛に来てから、高知にも足を伸ばして、カツオのたたきを食べに行ったのだが、正直なところ、すでにわら焼きの旨さを知っていた僕には、物足りなかった。
愛媛に来て初めてカツオのたたきを食べたのは、集落の集まりで集会場で振る舞われたとき。
あまりに美味しくて「これは、ここでわら焼きしているの?」と聞くと「スーパーのやろ(だろう)」という返答。
四国では、わら焼きが当たり前で、スーパーでもわら焼きをして売っているらしいということを知った。
『わらで焼くのがカツオのたたきである』ということが当たり前になっているため、コンロであぶって、それを『カツオのたたき』として売ることはないのだろう。
標準(基準)が高いというのは素晴らしい
【標準(基準)】というものは、そうした部分で見ると、本当に素晴らしい。
うどんに関しても、足で踏んでこね、コシを出すのが当たり前としているため、どこで食べても美味しい。
これは、都会よりも、地方、地方よりも田舎に行けば行くほど、こうした文化が残っているように思う。
さらに、四国は、すでに三本の橋でつながっているとはいえ、やはり、島である。
島というのは、他の地域との交流が薄くなる傾向にあるため、古い文化が残りやすいのだと思う。
そうした文化も、どこかに『セコいやつ』が出てきて、壊していく。
少し手抜きをして安く提供したりすると、売れ行きが良くなったりする。
それを見た同業者は、もう少し手抜きをして、さらに安くする。
すると、もう少し売れるようになる。
そうしたことを繰り返し、結果、『ちょっと面倒だけど美味しい文化』が廃れてしまうのである。
明治の文明開化や、戦後の高度経済成長、バブル経済、デフレ不況、こうした中で、古い文化は廃れ、なんちゃって商品が世を席巻していった。
そんな中で『カツオのたたきはわらで焼くもの』という文化は残っている。
今は、個々の時代と言われ、安いものを追い求める時代は終わりつつある。
本当に大切なものだけを手にし、大切なものを長く愛用することが人々の間に広がっていく。
見直されつつある『食文化』
オーガニック食品はもちろん、自然栽培野菜などもネット注文で買える時代になった。
全国の本物の食材も宅配で届けてくれることで、都会暮らしで金銭的に余裕のある本物を求める人々が買うようになり、今まで「高い」と言われ、売れ行きの芳しくなかったようなものも売れるようになってきたのだ。
良い時代が、すぐそこまできている予感がする。
カツオのたたきも『わらで焼く』という文化がなくならないで、このまま続いていって欲しい。
そんなわけで、僕としては、高知へわざわざ出向いて、観光客用の大して美味くないカツオのたたきを食べるのなら、松山空港近くの市場食堂「えびす丸」で食べることをお勧めしたい。
これは、東京や大阪から、飛行機に乗って、松山空港からタクシーでえびす丸へ行って、カツオのたたきを食べて、そのまま飛行機で帰っても価値があると思う。
もちろん、食というのは人どれぞれに好みがあるし、味覚も違う、さらに、金銭価格もバラバラなわけだから、人によっては、価値がないと感じるかもしれないが、これは、あくまで僕の価値基準であると申し述べた上でお勧めしている。
飛行機でランチをしに行くのもいい
昔、誰か?元ZOZOタウンの前澤さんだったかな?
飛行機で、北海道にランチを食べに行くと言っていたのを聞いた気がするのだが、実際、彼のようにプライベートジェットでババーン!ということでなかったとしても、早割やLCCを上手く使って、うまいものを食べに行くというのはありだと思うのだ。
僕の場合は、セコセコ貯めたマイルを使ったり、LCCに乗るにでも、一番安い火曜日〜木曜日のフライトを使ったりする。
金銭的に余裕のない人は、すべてのものを安く済ませようとする傾向にある。
その割に、余計なものを多く買っているという印象がある。
そうした人の家の中は、物があふれ乱雑になっている。
こだわらないものは安いものでいいし、買わないという選択もありだが、こだわるものには、きっちりとお金をかけて良いものを選びたい。
僕は、昔は、『安物買いの銭失い』だった。
安物を買っては、すぐにダメになってしまうということを繰り返していた。
しかし、多少余裕が出てきた時期に、少々値の張るものを買ったのだが、そうしたものは、いつまでも廃れることなく使い続けていられている。
その経験から、安物買いは、結局のところ余計にコストがかかることを身をもって知り、それなりのものは、結果として、お得とはいえないが、総合的に見れば、それなりのものを買っておいた方が良いということがわかった。
人生で最も大切なものは経験値
『食べる』という経験は、物とは違いひとときで終わってしまう。
しかし、『経験』というものは、自分の中にいつまでも残り、それが、それ以降の人生の役に立つことは多い。
僕はよく、RPG(ロールプレイングゲーム)を人生に例えるが、RPGで最も大事なのは、持っている武器や防具、アイテムやGOLDではなく『経験値』である。
これは、人生においても同じことだと考えている。
どんなアイテムを持っていても、GOLDをたくさん持っていても、それらを生かすためには経験値が絶対的に必要なのだ。
これは、現実の世でも同じ。
わかりやすい例が、宝くじに高額当選しても、結局は、使い果たしてしまい、当選前よりも貧しい人生を送っている人が多いことが一つの例である。
『お金を使う』という経験値がなく、スキルが身についていないため、結局、お金を上手く使えずに失ってしまうのだ。
物でも同じ、高級車が似合わない、高級な服装が似合わない、豪邸が似合わない、けど持っているという人も同じだろう。
逆に、高級車に乗ってないのに似合いそうだと思われる、フェイクジュエリーを付けていても本物だと思われるような人々も存在する。
『食べる』ということも経験値の一つ
寿司といえば『回転寿司』で、一番うまいのは『スシロー』だと考えている人は、日本全国に山のようにいる。
スシローは、常に駐車場が満車である。
僕も、コロナ過で客足が鈍っているスシローに初めて入ってみた。
しかし、、、「あれは、寿司ではない」
というブログを書いたところ、酷評コメントを書かれた。
スシローがいかに、日本国民を満足させているかがうかがえたが、僕にとっては、あれは寿司とは言えない代物であったことは確かなのである。
世の中は、なんちゃって食品が横行している。
寿司は代表的なもので、握ってないのに握り寿司だし、おにぎりも握っていないのに「にぎり」という名前が付いている。
燻してないのにベーコンだったり、腸を使ってないのにソーセージだったりする。
食があふれている中で、何をチョイスするべきか難しいことも事実。
ただ、生まれてからずっと、何十年も本物を食べずに生きている人たちが多い。
そして、晩年は『生活習慣病』と言われる病気になってしまう人が半数もいる。
多くの人は、生活習慣病という言葉を真剣に考えていない
『生活習慣病』この名の通りなのに、自分の生活が、習慣が、病気をもたらしていると思っていないで、病気になっている人たちがなんと多いことかと思う。
そうした人々は、なんの習慣がダメなのかもわからないし、分かろうともしない人も多い、ただ、医者と薬に頼って治そうとする。
治っても、また再発する人も多い。
当然、生活習慣が改善されていなければ、同じことが繰り返されるのは当然といえば当然なのだ。
しかし、生活習慣というのは、先進国に生きているほとんどの人は、完全な改善をすることが困難だと感じる。
なぜなら、生活習慣病を引き起こすような生活環境に、ガッツリと囲まれてしまっているのだ。
よく、肉を食べずに野菜を食べましょうなどと言われるが、肉が悪者だということはないように思う。
ただ、売られている肉のほとんどは、狭い場所で、薬を混ぜられた餌をたらふく食べさせられ、ただ、食われるためだけに生きている家畜たちなのだから、病気にはならなくても、健康な体の肉ではないのは確かだ。
そして、野菜に関しても、化学肥料と農薬によって育てられた野菜ばかりが店頭に並んでいる。
卵は、ゲージに入れられた鶏に、穀物と薬を食べさせて、延々と光を当てて卵を量産させる。
加工食品も、本来の加工方法ではなく、添加物や乳化剤で作り、色素や増粘剤でそれらしく見せ、保存料を振りかけて店頭に並べている。
そうした食品を『安全』と感じて食べている。
木々のない場所で、吸う空気は排気ガスまみれ。
コンクリートや発泡スチロールに囲まれた家の中で過ごし、子供たちは外で遊ばずゲームばかりしている。
そんな生活習慣で、生活習慣病にならないはずはないと思ってしまう。
僕の言葉を信じるな、正解だけを求めるな
人生で、成功しない人というのは『失敗をしない人』だと、僕は思っている。
『失敗は成功のもと』という言葉があるように、人生において失敗することは、成功することと同義語だとも言える。
少し前、ブログにこんなコメントをいただいた。
「物買うときに、レビューを参考にしない人はいないでしょう」と。
ブログの内容は、Youtubeの「低評価」に対する反対意見。
物を買う時というのは、少なからず自分のお金を支払うわけなので、多少なりともレビューを参考にする意味はあるだろうが、Youtubeは無料である。
Youtubeで、自分が何を見るか、評価を気にして、見るか見ないかを決めるというのだ。
人の意見を参考に、常に正解を見つけ出そうとする。
失敗をしないように、人の意見、人の敷いたレールの上を、ずれないように落ちないようにあることする人が大多数を占める。
僕は思う『だからこそ、人生で成功しないのだ』と。
レールの上を歩いて、何十年も経過しただろうが、きっと今でも人生に満足できていないはずである。
だから、僕がここでカツオのたたきを絶賛しているからと言って、僕の言葉を信じないで欲しい。
味覚というものは、人によって様々だ。
食べログで点数がいいからと言って、必ず自分が満足できるとは限らず、点数が低いからと言って、そんな店の中にも、自分が気に入る店があったりする。
だから、飛行機に乗って、カツオのたたきを食べに来なくてもいいんです。
実際、期待する人は、ミシュラン三つ星レベルくらいに期待してしまうので、当然、そんな期待は満足させられることはない。
「これが、絶対正解だ!」と言われても、それは、人によっては、そうではないことは多々あるということを最後に申し上げて、長々と書いた記事を終わります。