また割った!いったい何枚割るのだろう

また皿を割った。
ここにきて4年、皿や器、グラス、カップなど、いくつもの食器を割った。
大きな原因は、キッチンが狭すぎるということ。

元々、ここで料理をすることを前提に作られていないので仕方がない。
そこに、僕の様に毎日自炊する人間が住むことになれば、必然的に、物を上へ上へと積み上げていかねばならない。
さらに、上に伸びた棚自体も狭いため、ぎゅうぎゅうになり、はみ出している。

シンクは、陶器でできているため、そこに落ちれば、低い位置からでも、ほぼ確実に割れる。
食器を洗っているときに、ほんの少し手を滑らせるだけでも終わってしまうのだ。

今までで、最もショックだったのは、バカラのグラスを割ったこと。
東京から持ってきた二つのグラス、二つとも割ってしまったのだ。
重いし、ツルツルだし、口元は薄いので割れやすかったのだが、二つとも割ってしまったのはショックだった。

今回は、よく使う気に入っていた食器を二つとも割った。
一つは、洗う前にシンクに置いていたもの、そして、もう一つは棚から落とし、シンクの中へ。

幸いにも、砥部町は焼き物の街

今まで、砥部焼もいくつか買ってきた。
砥部焼の特徴というのは、厚みがあって割れにくいと言われているが、現在の砥部焼は、砥部町で作っていれば砥部焼ってことで、窯元によっては、厚みがある昔ながらの特徴の砥部焼ではないものも多い。
僕の推測ではあるが、土自体に強さがあまりなく、厚みを持たせる必要があったのかもしれないとも思っている。
まあ、土のことなど何も知らないけども。

ちなみに、現在では、砥部焼と言っても、ほとんど、砥部町の土は使われていないのだそうだ。
半分以上は、他の土地で採掘されたもので、砥部の土は、ほんの少し入っているかいないか程度の様である。

この4年間で、買った砥部焼のうちいくつかは割れたり欠けたりした。
しかし、昔ながらの厚みのある砥部焼の焼き物は、いまだに割れても欠けてもいない。
この地に来たとき「厚くて割れない」などという特徴の焼き物など、なんの価値もないと思っていた。

100円ショップで買った食器をいくつ割っても、割れない砥部焼のコストよりも低い。
それならば、わざわざ、割れないけど、厚くて重い食器ではなく、割れてもいい安物の食器で良いではないか、と。
しかし、いくつもの食器を割ってきて気がついたところがある。

まったく同じ食器であっても、愛着のこもったものと、そうでないものとは違うということである。
食器など使い捨てにすればいいという考えでなく、一つ一つを大切に感じる様になってきてしまった。
わざわざ、割れてしまうよりも、割れないほうがいいし、買い直すよりも、気に入ったものを使い続ける方がいい。

ただ、割れて失ったことで、新しいものを探したり、見つけたりして、そこから、新たなLIFE STYLEが始まると思うと、それはそれで嬉しい。
今まで以上に気に入った食器が見つかれば、より嬉しいし、それを思うと、割れて良かったとも思える。
なので、一概に割れない方が良かったわけでもない。
結局は、

「これでいいのだ」

ということなのだ。

新しい食器を、今、買うか否か?

気に入った食器が割れ、今までよりも不便になった。
そこで、一般的には、新しい食器を買おうと思うのだが、今の状態で、食器を買う気にはなれない。
この4年間を振り返れば、新しく買っても、この狭いキッチンでは、そのお気に入りを割ってしまう可能性は高い。

とはいえ、不便さは解消されない。
結局、

早く、家作れよ!

ってことなのである。
「家は、三軒建ててみないと理想の家は作れない」という教訓のもと、掘立ての作業場とログガレージ を建築した。
もう一軒、簡単にツーバイフォーで仮の本宅を建てようかと思っていたのだが、もう、いい加減に本気の本宅に取り掛かることにした。
気に入らなければ、また、別に二号邸を建てればいいことなのだ。

と、いうことで、食器は、どんなに割れても、本宅を建てるまでは買わないことにした。
現状に満足してしまうと、変化をさせようという気力が縮こまってしまうものなのである。
なので、多少、不便を強いられている方が、きっと、早めに本宅が完成することだろうと思う。

-MARK'S LIFE:日常, PROBREM:問題