内子町、丘の上の土曜夜市へ

昨夜、内子町で開催された、丘の上の土曜夜市へ行ってきた。
僕は、夜出かけるのはあまり好きではないので「どうしようか?」と思ったが、昨今、イベントや集まりがことごとく中止になっていることを思うと、こうした機会が貴重なものに思えてきて、行ってみることにした。

ちなみに、内子町という場所のことを知らない人に説明すると、僕が住んでいる砥部町は、愛媛県の県庁所在地である人口51万人の松山市の隣で、僕の住む山までは、市街地から約30分である。
内子町は、そこからさらに50分ほど、山奥に入っていた場所にある町で、山間部の中の大きめの村と思ってもらえたらわかりやすい。
まあ、要するに、ど田舎である。

その内子町の丘の上に、3,000坪ほどの敷地の畑があり、今回は、そこで土曜夜市が開催されていた。
ここでは、定期的に、日曜市などが行われている様で、今回は、真夏の開催ということでなのか、夜市であった。

都会や大きめのイベントの場合は、その場所の情報や、過去に開催されたときの写真など、いろいろな情報が事前に把握できるが、今回は、ほとんど情報がない。
駐車場の広さや、どんなお店が出店されるのか?イベントスケジュールなどもわからない。
そんな中、とりあえず、大まかな場所の把握だけで、現地へ向かった。

国道から、脇道へ入り、荒れた舗装道路を上へ上へと登っていくと、夜市の会場があった。
駐車場は、、、草むらである。
カレヤン(Porsche911)の底を擦りそうだと思いながらも、草むらの駐車場へ車を入れた。

現在の山暮らしをしていなければ、草むらの駐車場などに、怖くて車を入れることができなかったであろうが、今では、どの程度がNGでどのくらいならOKなのか、だいぶ把握している。
この草むら駐車場を見た時、30年前の19歳の頃のことを、フラッシュバックの様に思い出した。

あれは、当時の愛車MAZDA RX-7で、田舎道を走っていた時のこと。
まだ19歳ということもあり、世間のことはあまりわかっていなかった時代、前の車が遅かったので、軽〜く追い越していくと、その先には、赤い旗を持った白いヘルメットをかぶった青い服の人間が立っていた。
そう、警官である。

みごとネズミとりに捕まってしまったのだ。
そして、誘導された場所が、草むらだった。

僕のRX-7には、当時流行していた、RE雨宮のスポイラーがフル装備されていて、車高も雨宮のサスペンションで、やや低かった。
そんなスポーツカーが草むらに入れば、なんとなく結果が分かる。
しかし、当時の僕は、そうしたことがわからず、慎重に進入したり、現地の状況を確認するという余裕もなく、ただただ、ネズミ取りに捕まってしまったという思いでいっぱいだった。

警察も、その場所の地形の状況など、しっかりと把握しておらず、「空き地だからいいだろう」程度に考えていたのだろう。
まあ、普通車であれば、きっと、何の問題もない。

しかし、僕のRX-7のフロントスポイラーには、地形の段差は大きかったようで、何に引っ掛かったのか、わからないが、何かに引っかかって取れてしまった。
当時の僕は、ネズミ取りに捕まったこと、罰金が19歳の僕には大きくのしかかったこと、早くここから去りたかったことなどで、頭がいっぱいになり、フロントスポイラーが取れてしまったことなど、どうでもいいことに思え、ぐらついたスポイラーのまま、その場を去った。

その頃の嫌な思い出を思い出しながら駐車場に車を入れて行った。
幸いにも、草むらの駐車場には、大きな凹凸はなく、底も擦らずに、草が刈ってある場所に駐めることができたのでよかった。
ただ、車を駐め、安心した次の瞬間、ボロボロの軽バンが僕のカレヤンの隣に停まった。

田舎にいると、都会では見たことがない様な、ボロボロの軽をよく見る。
ボロボロというのは、単に古いということではなく、車のボディーが、擦った跡で傷だらけ、さらに、ぶつけた後で、ボコボコということである。
要するに、車をぶつけても気にしない人たちが乗っている車のことである。

少し前に「トナラー」という人たちがいるという記事を見た。
トナラーとは、高級車の隣に駐車する、ボロい車に乗った人たちのことで、なぜか、故意に高級車の隣に駐車するらしいのである。
その理由が、こう書いてあった「高級車に乗っている人たちは、車を大切にしているからぶつけることはない。こっちがぶつけたとしてもお金持ちだから許してもらえる」ということらしいのだ。

まあ、一般的に高級車と言われている車に乗っている僕からすると、相手にぶつけることはないが、ぶつけられて許すほどの器量は持ち合わせてはいない。
しかし、相手の車を見れば、請求しても意味がないことは、今回の隣に駐まった、ボロボロすぎる軽バンを見ればよくわかった。
「お金持ちだから許してもらえる」というは間違いで、「許さなくても修理代は取れないだろうと諦める」というのが正確なところだろう。

30年前のスポイラー取れた事件を思い出しながらも、底を擦ったりすることが回避されたが、今回は、ドアパンチを覚悟せねばならないか!?と思った。
帰るときには、真っ暗のため、ドアパンチを確認できなかったが、朝、確認してみると、ドアパンチは食らっていなかった。
愛媛に来てから4年間、ドアパンチを常に警戒し、覚悟もしてきたが、今回ほど、ドアパンチの恐怖にさらされたことはなかったが、結果、何事もなくてよかった。

さて、ようやく本題の土曜夜市の話題。
開催が17時からとのことで、17時に到着すると、やっぱりまだ準備中。
まあ、これが、田舎時間である。
気楽にフラフラと見て回る。

17時の時点で、その場所には、すでに20人ほどの人がいたが、どうやら、ほぼ全員が出店者か関係者の様で、純粋な客というのは、僕といつもの山友を含めて数人の様だった。
まあ、これも、田舎あるあるである。

17時を少しすぎて、畑のお散歩会、要するにファームのオーナーが、畑を案内して、色々と説明してくれる催しが始まったので参加した。
ぐるりと畑を周りながら、今の時期の育てている植物と自然栽培の話を聞く。

会場に戻ると、準備は終わっていて、なんとなく、夜市が始まった雰囲気になった。
周りを見渡して気がついたことがあった。
なんと、今の時期なのに、誰一人としてマスクをしていないのだ。

こんなふうに書くと、なんとも不謹慎!と怒る方もいるかもしれないが、これが、ど田舎である。
うちの山でも、誰一人としてマスクをしていないが、こうしたイベントでも、誰もしていないし、持ってもいない様だった。
ちなみに、イベント前半までは、僕一人だけマスクをしていた。

だが、この辺りの感染者は、常にゼロ(たぶん)である。

ここは、やはり強調しておかなければならないだろう。
報道では、地球上のすべての場所で、感染拡大が起こっているとされているが、実際には、ど田舎では、そんなことは遠い世界の話なのである。
ちなみに、ソーシャルディスタンス、2m以上離れましょうとか、換気をしましょうとか、そうしたことは、意識しなくても、行われている。
まあ、当然、外だし、まったく密にならないし。

ってことで、カレーを食べたり、フォカッチャを食べたり、ココナッツプリンに、ドーナツ、チーズ春巻き、肉まん、レーズンパン、スモモソーダなどなど、売っているものを食べまくった。
そして、ドップリと日が沈むと、広場の中央に火が灯された。

ドラム缶をカットしたファイヤースタンド?である。
剪定した木の枝で火をつけているのだが、しばらく燃えて、火が消えてしまっていた。
枝葉を適当に入れては、子供たちが無作為にいじり、適当にうちわで仰ぐので、枝だけが燃え尽きて、太い木に火が移らない状態が繰り返されていた。

途中、少し手を貸したが、やはり、結局は、火が安定する前にいじってしまい、結果、鎮火してしまう。
子供というのは、じっと黙って見ているということができないので、とにかくいじりたがる。
僕は、途中で諦めて、手を下すのをやめた。

すると、火はどんどん弱まり鎮火して、とうとう、再燃することはなくなった。
こうなると、みんなが諦めて、その場から去っていった。

と、ここまできたら、僕の出番である。
ほんのりと、下の方に赤くなっている炭を火種にして火を付ける。
そして、大きな炎へと育てていく。

さすがに毎日の様に火を扱ってきたことで、どうしたら火を起こすことができるのか?
その火を大きくして、維持することができるのか?ということを、自らの経験で学んできたことで、小さな、火種から大きな炎へを作り上げていくことができる様になっていた。

ってことで、突っ込まれている枝を並べ直して、空気の通り道と火の出口を作ってやって、火を起こした。
火が大きくなると、子供たちが戻ってきた。
その中で、一番年上の男の子に、薪を置くときのコツや、火の性質、空気の流れ方、デザインすることの重要性、どんなものでも美しいことが大切であることを伝え、あとを任せた。

その彼が不意に「駐車場にあった、赤いポーシェ?」と言った。
初めは、ポルシェと聞き取れなかったのだが、聞き直すと「赤いPorsche」と言ったことで、理解できた。
言い方が「ポルシェ」ではなく「Porsche」(ポーシェ)。
日本人のカタカナ棒読みではなく、抑揚の付いたPorscheであった。
やはりハーフか!顔もハーフっぽかったが、しゃべりもハーフとは、、、ガキンチョながら羨ましいぞ。

そこで、It's mine.
なんて答えたらカッコよかったのだが、ベタベタの日本語で「僕の」と答えてしまった。
まあ、そんなことで、カッコつける意味はないので、それはどうでも良いのだが。

夜9時頃に、会場を後にしたが、会場では、まだまだ盛り上がっており、端の方でギターをかなで、みんなで歌を歌っていた。
ドラム缶の火の周りにも子供たちが集まり、なんとか火を大きくしていこうと意気込んでいる。
それぞれの店は、すでに売ることをやめ、みんながイベント自体を楽しんでいた。

都会では、こうしたイベントを開催してしまえば、必ず密になってしまうし、その中には、陽性の可能性がある人が含まれていることもある。
しかし、ほとんど告知されていない、ど田舎の小さな集まりでは、市街地に出入りする人は皆無で、山に囲まれた小さな村の中で、外界と遮断されているとまでは言わないが、ほとんど接しないで暮らしている人々が集まっても、もちろんゼロではないが、極限に近いほどに、そこにコロナウイルスが存在する可能性は低い。

強いて言えば、僕たちが最も可能性が高かったのではないだろうか?と、微妙に罪悪感を覚えてしまった。

ここに東京からの来客などが、混ざっていたら、まるで、ゾンビが来たように思えるかもしれない。
とは言え、こうした場所の人々は、どんな人でも、心から歓迎してくれるもので、差別的な見方をしない。
そうしたところが、ど田舎のいいところである。

ということで、土曜日の一夜は、期待以上に素晴らしいものだった。
やはり、うちの山でも、こうしたことをいずれは、やってみたいと思ったのだった。

-MARK'S LIFE:日常, TRAVEL, ポルシェ(カレヤン)