冬、ほとんどの植物は延びることなくジッとしている。
茎も伸ばさなければ、葉も出さない、そして、もちろん花も咲かせない。
そんな、極寒の冬でも、元気に満開の花を咲かせている木がある。
それが、サザンカだ。
この山には、椿やサザンカがたくさんある。
一昔前に、杉やヒノキを伐採し、出荷した後、椿油のために椿を全面に植えたらしいのだ。
それが、シャンプーの『TSUBAKI』が流行った時だったのだろうか?
この辺りをよく知るじいさんによると「あれで、だいぶ儲けたらしい」と言っていた。
杉やヒノキが、外国産の木材に押されて、売れなくなり、価格が下がり、植林された山々は放置されていった。
そんな中でも、いち早く椿に転向し、それで大儲けし、さらには、まだ、山の値段が高かったうちに、山ごと売却したというのが、この土地の流れのようだ。
僕が山を探しに、いろんな場所へ行った際、団塊世代の山のオーナーたちの多くは、バブル期に山を買っている。
その当時、坪単価一万円程度だったらしい。
それが、今では、良くて千円だ。
バブルの頃は、「なんだか、大人の世界はすごいんだなぁ」くらいにしか思っていなかった。
今でも鮮明に覚えているのが、テレビの街頭インタビューで、「クリスマスプレゼントは、彼女に何をあげるんですか?」という質問に対して「BMWをあげます」という答えをしていた。
その時、早く大人になりたいと思っていたが、実際に大人になると、その現実は幻想に変わっていた。
十代の終わりに、高級クラブのウエイターをすることになったのだが、そこで、おじさんウエイターたちに話を聞くと「あの頃は、ウエイターでも、一日何万円ものチップをもらえたよ」と言っていた。
その頃には、僕も、それが、おかしな時代だったということが分かっていたので、羨ましくもなかったが、そんな世界を体験してみたかったとも思ったものだ。
真冬に、蘭々と咲き誇るサザンカの花。
周りには、他に咲いている花はない。
そのため、メジロが毎朝、サザンカの花の蜜を食べに来る。
サザンカは、この土地の経緯を表す一つの名残であるが、それを思い出す時、僕の中に、ほんのりと教訓のようなものが浮かんできた。
景気の良い時には「売り」、景気の悪い時には「買え」
今は、コロナ 過である。
要するに、世間的には景気は「悪い」ということになっている。
要するに「買い」の時期ということだ。
とはいえ、山に関していえば、バブル以降は低迷したままで、ずっと、坪数百円という価格は変わらないままなので、今が買い時というわけではなく、ずっと買い時だし、今も買い時で、きっと、これからも買い時なのだが、しかし、徐々に、山が注目され、ほんの少しずつでも、山の値段は上がるように思える。
芸能人でも「ヒロシさん」や「オビラジの藤森さん」が、山を買ったとYou tubeに出しているし、ポツンと一軒家の視聴率が好調で、多くの人たちが山暮らしに興味を持っているのは事実である。
今は、まだまだだが、これから先、数十年後は、もっと、ずっと多くの人たちが山を買うようになっているかもしれない。
今のコロナも然り、毎年起こる災害、大地震、津波、そして、もしかしたら戦争。
今まで考えられなかった、とんでもない事態に、これからの僕たちは遭遇していく。
今、山を買う理由は、そこに生活の拠点を置くというわけではなく、遊びのため、趣味のためという人がほとんどだ。
僕自身も、山に住みはしているが、実際の目的は、自分の趣味をここでやることを前提にしている。
しかし、これからは、市街地が危険にさらされたり、食糧不足に陥ったり、インフラが壊滅したり、水がない、風呂に入れない、人の触れ合いが感染を拡大したり、そうした事態になった時、山は、安全だし、家を作る木もあるし、畑を作って食糧も確保できるし、水は豊富にあるし、火も焚けるし、なんの不自由もなく生きていける場所なのだ。
世界人口が過剰になり、どんどん増えて100億人を突破する時が来る。
そうなると、食糧不足に陥るという。
今の慣行農法では、それは確実に訪れるだろう。
世界が砂漠化する原因は、単に、森林を伐採しているということにとどまらない。
現在、世界中で当たり前に行われている作物の作り方に、大いに問題がある。
耕して、肥料を撒いて、一つの種類だけを大量に栽培して、農薬を撒いて、すべてを収穫して、どこかに持っていく
こうしたプロセスが、土をどんどん衰えさせていく。
土が衰えるので、毎年、肥料を投入しなければならない。
そうした土地で、育つ食物は弱いので、虫にやられやすい。
そのために、農薬を撒いて、虫を殺さなくてはならない。
それらを大量に作って、売って、お金に変えなければ生きていけないと思うから、一つの作物を大量に作って、全部売って、その土地には何も残さないで持ち去ってしまう。
だから、もっと、土地は痩せる。
アメリカなどで、大量に栽培されているトウモロコシや麦などのほとんどは、家畜の餌になる。
今、家畜の出す二酸化炭素が、意外にも地球温暖化に影響を与えていると言われている。
本来であれば、家畜は、そこら辺の草を食べて、食べた場所でうんちをして、その場所をより肥沃な土地へとしていくものだ。
うんちをすれば、そこには、家畜の中にいた菌が混ざっており、分解能力が高まり、新しい草がどんどん生えてくる。
するとまた、家畜がどんどん食べて、どんどんうんちをするという具合である。
ところが、別の場所で作物を作って持ってきて、草の生えていない場所で家畜に食べさせてうんちをさせる。
一つの場所に、家畜がウヨウヨと詰め込まれている。
大量の家畜のウンチを、分解する能力が追いつかない。
しかも、作物には、農薬が使われているし、家畜の病気を防ぐために抗生物質まで入れられているというのだから、これじゃあ、菌も死んでしまい、有機物の分解能力もなくなってしまう。
人間自体も、都市に集中しすぎて、他から食料を大量に運び入れ、人間の糞尿は、一箇所で大量に処理され、薬を投入して菌を殲滅し、なんの役にも立たない、単なる汚水として川に流される。
こんなことを世界中で繰り返している。
先進国の都市だけではなく、世界には、都市の周辺にスラムが形成され、そこでは、都市部以上に過密状態になり、衛生的に最悪な状況に陥っている場所がいくつもあるらしい。
そうした人たちは、なぜ、過密に暮らしているのだろう?
と、不思議に思う。
そこを離れたら、仕事がない、お金がない、生きていけないと考えているからなのだろうか?
サザンカのように、他の木々が花を咲かせていない時こそ、花を咲かせること。
他の人たちと同じではなく、他の人たちがやっていないことを、勇気を持って、やっていくことで、そこに道は開ける。
僕は、そう信じている。
自分の人生は、サザンカように思える。
きっと、これからもそうだろう。