久々の弁当屋チェーン

今夜の夕食は、ほっともっと。

来たことがあったか?実は、記憶にないが、この手の弁当屋チェーンを利用するのは、何十年かぶり。
あの頃は、よくのり弁食べてたのを思い出す。
確か、当時、290円だったと思う。
あとは、ちょいグレードアップで、シャケ弁。
価格は覚えてないが、たぶん、330円
思いっきり、贅沢する時は、やっぱり焼肉弁当。
たぶん、価格は、590円ってところ。
昼飯で、500円を超えるのは、贅沢だったなぁ。
今日は、大人買いならぬ、大人弁当「キャベ肉弁当 全部のせ 550円」也

あの頃と値段は、ほとんど変わってない。やっぱり、日本は、失われた20年、デフレ続きの20年なんだと、ほっともっとの弁当の値段で実感する。

日本にいるだけなら、20年間が単に停滞しているだけだと感じるが、世界から見てみると、それまで、途上国だったところが、どんどん発展して、経済が急速に成長している中で、日本は、ずっと留まっている。

そう思うと、日本が、どんどん途上国に近くなっているとも言える。

そして、先進国の中で、発展を続けているアメリカなどは、本当に先進国になり、ヨーロッパの中の国で、日本と同じような事態になっている国々は、日本同様、先進国から落ちぶれて、途上国というか、後進国とか、後退国というような位置付けになっていくのではないだろうか?

僕たちが生きている間に、落ちぶれた国となるかはわからないが、現時点を見れば、いつかは、そうなるのはわかりきっているように思う。

だから、グローバル化と言われるが、それももちろんだが、もっと、国内に目を向けて、小さな政府、小さな自治体、村や部落単位で、経済発展とかグローバル化ではなく、「幸せ」を求める小さな取り組みを、小さな単位で行っていくのも重要ではないかと思う。

お金という単位で見れば、デフレであって、経済発展は遂げていないが、今、世界中でも、物々交換が増えつつあるし、ビットコインなどは世界的に流通している仮想通貨だが、地域通貨が、もっと増えてもいいと思う。

そうして、小さな単位で暮らしていく、幸せを求めていくという、ある意味、江戸時代の鎖国のようにしていくことも、一つの方法ではないかと思う。

それを、大々的に掲げているのが、アメリカのトランプ大統領かもしれない。

USファースト。

これは、他の国を差し置いて、自分たちだけが利益を享受するという意味もあるのかもしれないが、自分たちの世界を築いて、まずは、自分たちのことだけを考えてみよう!という、小さな単位の小さな幸せを求める戦略と捉えられなくもないのではないか?と、ほっともっとの弁当を買いながら思ったわけだ。

キャベ肉弁当 全部のせ。鳥カラ、目玉焼き、白身魚のフライがのってる。贅沢弁当だ!


via Mark な 人生



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