四国八十八箇所 お遍路の旅 6日目が終わりました

今夜は眠いです。
6日目にして、お遍路さん達と長い話をしました。
今までの5日間、Newyorkのときもそうでしたが、
なかなか、自分からいろいろと話しかける勇気がなく、
あまり人と話をしない日が多くなってしまいます。

食堂には、たくさんの人たちがいましたが、
ほとんどが60歳以上というか、
僕ともう一人のおじさん以外、全員が60歳以上です。

そこには、80名ほどの人がいましたが、
仕事を持ったままお遍路できている身分の人は、
どうやら、僕だけのようです。
20年早く来てしまった?とも思いましたが、
こうして40歳前で、お遍路できるなんていうのは、
本当にありがたいことです。

あと2日巡って、予定では全64箇所巡り、
24箇所を残して帰る予定です。
歩きお遍路さんたちの話を聞いていると、
残りの24箇所を歩きたくなってしまいます。

今日の学び

仏像などを見ていると感じたこと。
当たり前ですが、そこにじっとしています。
時には、柵の中にいたり、網がかかっていたりします。
それを見て、こう心の中でつぶやきました。
「こんな中に押し込められて不自由だなぁ」と。
すると心の中にこんな言葉が浮かびました。

「肉体が不自由でも心が自由なら、それは自由だ。心が不自由で肉体が不自由だとしたら、それこそが不自由である」と。

僕たちは、基本的にどこでも好きな時に好きなところにいけます。
経済的にも、世界からみて恵まれていますから、どこの国に行っても生活できます。
どんな言語でも学べる環境にあります。
言論の自由、宗教の自由、勤労の義務はあると言っても誰かに養ってもらうこともできます。
さらに、生活保護や失業手当も手厚く整っていますから、働かなくても生きていけます。
とっても自由です。

なのに、多くの人が自由を求めています。
そうです。肉体的には自由なのに、なぜか心が魂が自由ではないんです。
魂を自由にできるのは、自分自身しかいません。
他人に、自分の魂を自由にすることはできないのです。

そして、肉体的にも他人に不自由にされていると感じています。
本当は、まるっきりそんなことは起きていません。

正直、自由すぎるんですよね。
自由すぎると、不自由を求める。
そして、学校や会社、国に社会に縛られていると感じることで、
自由すぎる状況を自由に生きることができない自分自身を正当化するために、
自分からカゴの中に入って「不自由だ!」と叫んでいるんですよね。

鍵などかかっていないのに、いつでもそこから出られるのに、
出るのが怖いんですよね。
いつもカゴに守られていたいんですよね。

もし、本当に自由を求めるのなら、こう言って差し上げましょう。
「すでにあなたは自由です。今より前も、そしてこれからも永遠に」と。

心を自由にすることは簡単です。
自分に正直になることです。
目先のことに振り回されずに、自分の人生をよくよく見つめて見ることです。
なにが大切なことなのか、よくよく考えてみることです。
そして、発言も行動も自分の心に従うことです。
そうすれば、心は自由になります。

そんなことを、仏様から教えていただきました。


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