ふっと足下を見ると、どこかで見たような、山菜っぽいのが生えていることに気がついた。
ちょうど、しいたけ畑のじいちゃん、ばあちゃんがいたので「これは、フキノトウ?」と聞いてみたたら、その通りだった。
ただ、僕が知っているフキノトウは、葉っぱが広がる前なので、もうすでに時期を少し過ぎてしまっていた。
「湯がいて、酢味噌で食べるんや」というので、軽く茹でて酢味噌で食べてみた。
「おっ」やはり、単なる雑草とかじゃなくて、「山菜」と言われているだけあって、ちゃんと美味しい味がある。
ただし、苦味も結構きつい。
山菜自体は、ど田舎の蕎麦屋か定食屋にでも入れば、提供してくれる店はいくらでもある。
それでも、やっぱり、採りたての山菜を食べるなんていう経験は、ここに来てなければ出来ないことだっただろう。
それも、足下に生えているんだから。
愛媛に来たばかりの頃、同じ日本だから当たり前のことなのだが、なぜか、日本円が使えることに不思議な感じがしていた。
東京で稼いだお金が、愛媛でも同じ価値として通用するのか?と思うと、変な感覚だった。
住み始めてからは、今までの金銭感覚とは異なっているのを感じた。
東京では、すべてのものは、お金で買うとか売るとか、お金が中間に必ずあった。
しかし、山に来ると、物をもらう、あげるなどが頻繁にあり、物々交換の様相があった。
それによって、「お金を通して物が流通すると損」ということを感じた。
お金というのは、消費税はもちろん、所得税や社会保険、年金など、お金を得るとき、お金を使うときの両方で、結構な額を取られてしまう。
人によって比率や額は違うが、僕の場合、取得時に23%取られている。
これに、会社負担の社会保険と厚生年金額をプラスすると、なんと39%を取られているのだ。
そして買うときは、消費税8%を取られるため、合計で47%搾取されていることになる。
ほとんど、詐欺じゃないのか?と思えるほどだ。
ガソリンやお酒など、さらに税金が加算されている商品もあるので、ほぼ半分は、持って行かれていると思って間違いない。
だから、足下に生えているものが食べられるなんていうのは、タダってだけじゃなくて、余計な税金の類を取られない、最高の手段ってことなのだ。
収入がそのままで、支出が減るのもいいことなのだが、課税される収入自体も最大限少なくすれば、もっとお得である。
どうも、最近、山に来て、逆に、お金について考えることが多くなったのだ。
まあ、その話は、またおいおい。
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