最後の富士登山から、早5年が経った。
初めて富士登山に挑んだのは二十歳の時だが、それから7年ほど経ってから2回目の富士へ行き、そこから13年間で、確か7回登った。
当初から、体力は、信じられないほど無く、27歳にして女性二人に抱えられながら下山するという有様からのスタートだった。
それからも、常にビリもいいとこ。他のメンバーと30分以上遅れることが常だったが、それでも、懲りずに行き続けた。
それは、いつも、山が人生の行き方を教えてくれたからに他ならない。
富士へ行くと、パワーを感じられたし、神を感じられた。
他のメンバーに迷惑をかけないように、一人、二人で行ってもよかったのだが、途中でダウンしたら、少人数では助けてもらえないという目論見もあったとか、なかったとか。
まあ、みんなで行った方が、断然楽しいのだし、ほとんどの人たちは、行きたいけど、なかなか行く決断に至らない。
そんな行く機会を逃し続けてしまう人たちを引っ張って行くという意味もあったのだ。
だが、それも、今から5年前に終止符を打つことにした。
20代でも抱えられながらなければ無理だったのに、40歳になった体は、体力的に限界を超えていた。
みんなよりも、1時間以上遅れてしまうという大失態を犯してしまった。
日が暮れても下山できずに、最後は、妻に支えられながら、なんとか戻ってこれたという情けない結果となった。
そして、これ以上、富士登山は無理だと決断したのだ。
この5年間は、登山へ行くと行っても近場の低い山にしか行っていなかった。
まあ、登山というよりも、ハイキングと言った方が正しいくらい。
それでも、2年前から護身術へ通い、愛媛に来てからは山仕事や小屋の建築などで、だいぶ体力はついた。
そして、今日、富士ほどではないが、標高1,982m 近畿以西で最も高い愛媛の山 石鎚山へ登って来た。
登頂までの登山時間は、約2時間半。
富士で言えば、5合目から宿泊先の山小屋へたどり着く程度の距離だ。
なので、比べることはできないが、それでも、周りの人々よりも疲れることもなく、ペースも早く、登り切ることができた。
この山は、四国にあるだけあって、霊山としても知られているらしく、修行僧のために作られたとされる、絶壁の岩場を登って行く「鎖ルート」と呼ばれる道がある。
こんな、断崖絶壁を、鎖を掴みながら登って行くのだ。
お年寄りから、小さな子供まで、いろんな人たちがチャレンジしているが、そんなに簡単なものではない。
とは言っても、一区間程度なら、まあ、誰でも行けるかな?
体力と同時に、筋力もついたようで、鎖を持って、自分の体を引き上げるとき「あれっ?俺ってこんなに軽かったっけ?」と思うほど、自分の体が軽々と上がって行くのを感じた。
そんなこんなで、悠々と頂上へ着いたのだが・・・
スゲー人、人、人、人だらけだった。
ただでさえ、狭い頂上に、うじゃうじゃと、まるで渋谷の駅前か?くらい居た。
まあ、今日は、三連休。
さらに、今が、一番いい季節らしいので仕方がないね。
頂上では、霧がかかっていて、景色も見えなかったので、早々に退散した。
1枚記念写真だけ撮って。
ってことで、日帰り登山が終わった。
いつも、山は人生を教えてくれるが、今回も、教わったことがある。
それは、やっぱり「人生に目標などいらない」ってこと。
夢はいいけど、目標はいらない。
いや、夢もいらないかもしれない。
自分が、なんのために生まれて来たのか?
明確にはわからないかもしれない。
しかし、必ず、理由はあるはずなのだ。
単なる偶然なんてことは、ありえないと思っている。
だから、夢や目標を、無理に持たずとも、ちゃんと、人生の目的は、自分の奥底にあると思うのだ。
山で言えば、頂上にたどり着くということは、無理に意識しなくても、歩き続けていけば、必ずたどり着くものなのだから、毎度毎度、頂上を見上げて「あとどのくらいか?」などと考える必要などないと思う。
毎日、一歩、また一歩と、歩んでいけばいいだけなのだ。
今、この瞬間に、しっかりと大地を踏みしめ前に進む。
そのことだけを意識して、歩んで行く。
そうしていけば、必ずたどり着く。
どこにたどり着くのか?
それは、意識せずとも、そこへ向かっているものなのだ。
もし、道を間違えていたら?そうしたら、必ず誰かが教えてくれる。
だから大丈夫。
無理に、夢を持たなくてはいけないとか、夢はかなえなくてはならないとか、夢破れるとか、そんなことはどうでもいいことだし、無理やり目標など決める必要などはない。
もちろん、決めたければ決めればいいし、決めたくなければ決めなくていいのだ。
もしも、目標を決めるとするのなら、昨日よりも今日、一歩前に進むこと。
今日よりも明日、今日の自分よりも成長しようとすることだろう。
昔、富士登山の時、よく、頂上を見上げながら「あと、どのくらいだろう?」と考えながら歩いていたことがあった。
でも、何度も登っているうちに、そんなこと無意味なことだとわかった。
それよりも、大切なのは、上を見ることではなく、自分の足がちゃんと前に進んでいるかということだった。
それからは、前と下だけを見て歩くようになった。
そして、すれ違う人たちと、大きな声でハキハキと挨拶すること。
声を出した方が、呼吸が楽だということも分かったのだ。
さらに、周りの景色を眺めたり、植物に目を止めたりしながら、その時々を楽しみながら、一歩、また一歩と歩んで行く。
必ずたどり着くことは、わかっているのだから。
人生も同じこと。
いつたどり着くのか?本当にたどり着くのか?間違って進んでいないか?
なんて、考えたって仕方がないのだ。
いつかたどり着くし、必ずたどり着くし、間違ったらちゃんと教えてもらえるのだから心配はないようになっている。
一歩、また一歩、歩き続ければいいのだ。
と、僕は、今日も、山に教えてもらった。
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