今朝、僕は一家惨殺した。
と、言っても世間で言う「蜂の巣駆除」というものだが
蜂の一家を惨殺したことには変わりはない。
数日前、ベランダに放置していた枯れたと思っていた
幸せの木から芽が出ていることを発見して、
ベランダに出てみると、蜂の集団が飛んでいた。
ふと窓枠に目をやると小さな蜂の巣が。
巣には20匹ほどの蜂がいる。
これは危ないと思い、すぐに窓を閉めた。
・・・・困った。
蜂の巣駆除に困ったわけではなく、
自分のポリシーに困ったのだ。
「無用な殺生はしない」と思ってきたのだが、
今回はどうしたらいいのか分からない。
考えた一つの案は、ビンを持ってきて
ビンを巣にかぶせて、巣ごとビンに入れて
山に持って行き、そこで開放する・・・とか。
でも、やはりオーソドックスな蜂の巣駆除という
集団殺戮をすることにした。
もう、僕たちの時代、それも日本に住んでいて
戦争を体感することはない。
そのため人を殺すというのはどんな状況であっても「悪いこと」
という認識が強くある。
でも、戦争状態だったらどうだろうか?
となりで家族が一人ずつ殺されていく、
または、殴られていく、傷つけられていく、
だまって見ているだろうか?
ガンジーのように非暴力で耐えられるだろうか?
とても僕には出来ない。
では、何の攻撃もしないが、
武器を持った人が近くにいたらどうだろうか?
何かの拍子で自分や周りの人を傷つけるとしたらどうだろうか?
警察は可能性ではなく事実が起こらなければ動いてはくれないが、
自分はどうだろうか?
娘を連れ去りそうな変質者が近所に現れたら?
連れ去ってから対応することはなく、
連れ去る前に何らかの手を打つだろう。
先進国の都会に住んでいるというのは、
地球の中で最も優雅に暮らせる場所だ。
それも日本、東京都心は、間違いなく世界一安全で住みやすいだろう。
田舎の人は、蜂の巣があれば駆除するのは当然らしく、
検索してみると駆除の仕方が細かく出ているし、
実際にやっている人も多い。
でも、都会のマンション暮らしで
なかなか自宅に蜂の巣が出来る人は少ないだろう。
僕自身も、初めての経験だった。
無抵抗の蜂を惨殺し、
巣にいる子供達まで抹殺すると言うことが、
僕にとっては非常に心が痛いことではあったが、
今朝、実行した。
殺戮兵器は「コックローチ」だ。
ジェット噴射で3m先の敵を落とせる。
全身白い服装で手袋をはめ、
メガネを掛けて、ストールを首に巻き、
帽子をかぶって・・・
ベランダにいたら、完全に変質者だ。
片手にコックローチ、
もう片方には巣を入れるビニール袋。
いよいよ、決戦ではなく殺戮の始まりだ。
殺戮という言葉を使うのは、
どう考えても蜂に勝ち目はないし、
蜂たちが攻撃をしかけているわけでもないからだ。
彼らは、落ち着いた静かな場所で子育てをしたかっただけ。
僕が、しばらくベランダに出ていなかったので、
きっと、落ち着いて巣を作ることが出来る場所だと思ったのだろう。
そこに、久々に僕がベランダに出たというわけだ。
蜂にとってみれば、僕の方こそ後からきた侵略者に見えただろう。
そっと、ベランダに出てみると、
20匹ほどの蜂たちが巣の周りで
忙しく動いていた。
僕は、無抵抗の彼らにコックローチのノズルを向け噴射した。
ノズルから勢いよく毒液が発射される。
苦しみながら落ちていく蜂たち。
一匹、また一匹と巣から落下して死んでいった。
およそ1分ほどで巣にいた大人達は全滅。
巣の中にいた子供達も少しずつ巣穴から落下していく・・・
正直、あまりにもむごい。
「蜂の巣駆除」と言ってしまえばそれまでだが、
僕には、一家惨殺、集団殺戮にしか見えなかった。
蜂にしてみれば、
ただ、子供を育てたかっただけなのに・・・
でも、そのままにしていたら巣は肥大化し、
自分はもとより、周りの人達に迷惑が掛かってしまう。
蜂自体はおとなしい種類のようだったが、
集団になるととても危険だっただろうから、
こうするより他は無いと判断した。
「快楽を求め恐怖や痛みを避ける」
と、どこかのセミナーで頻繁に言っていたが、
今回の出来事に快楽はない。
小さな恐怖を避けるために、小さな命の多くを抹殺したのだ。
心が痛い。
戦争に行くと、初めは人を殺すことに痛みを覚えるが、
しだいに麻痺してきてしまい、おかしくなってしまうか、
それが快楽になってしまったりすることもあるらしい。
戦争で暴行を加えたとか、無抵抗の市民を殺したとかで、
責められる兵士達は多いが、彼らだって被害者なのかもしれない。
そんなことを思いながらコックローチを噴射し続けた。
昼前までに、巣にいなかった蜂たちが帰ってきて、
帰る場所がないことに気がついたようで周りを飛び回っていた。
この蜂たちに対してもコックローチで殺害していった。
結果、巣にいた大人達20匹ほど、
子供達10匹ほど、戻ってきた大人達10匹ほどを死に追いやった。
このことによって、誰からも責めを負うことはないだろうが、
僕自身は、とてもスッキリした気分にはなれず、
ここで何度も書いているように、
一家惨殺、集団殺戮をした気分でいっぱいだ。
正直、重い罪の意識を感じている。
こんな事をブログに書いたのは、
僕自身がこの出来事を重く受け止め、
忘れないようにすることが目的。
今回は、言ってしまえば単なる蜂だが、
いつか、動物や人に対して決断を迫られるときが来るような気がする。
その時に、今日の出来事を思い出し、
間違った判断をせぬよう心に刻んでおきたい。
*殺戮後の写真も撮りましたが、
正直、むごいので掲載は控えました。