大量の薪、まともに使えず。無念

2020年1月、コロナの脅威がすぐそこまで迫っていた頃『薪割り体験イベント』と称し、たくさんの人たちに薪割りをやりにきてもらった。
それによって、とんでもない数の薪と薪棚ができた。
その、ほんの2ヶ月後、コロナによって、薪割りイベントは終息し、あんなにたくさんの人が来ていた山に、再び、静寂が訪れた。
その時に作られた薪の元となった木は、僕が山に来て最初の冬に伐採したヒノキだったのだが、薪にするには遅すぎたことが、今頃になってハッキリとわかった。

今まで、五右衛門風呂を沸かすために薪を使っていたし、2019年の冬からは、薪ストーブも使っていたのだが、薪の火付きが悪いのは、僕がうまく火をつけられないせいだと、ずっと思っていた。
しかし、この冬、1年ほど前に割った薪を使ってみたところ、今までにないほどよく燃えた。
だが、よく燃えたのは、僕がうまくできるようになったせいだとばかり思っていた。

それが、僕の火付けのテクニックは関係がないということが分かったのが、ついこの間。
1年前の薪ではなく、古い薪を運び込んだときのことだった。
燃やしてみると、全然燃えない。
さらに、煙がすごい。
こうして、ようやく、古い薪が使い物にならないことに気がついたのだ。

そうなると、現在ある薪のうち、9割以上が使い物にならない。
それでも、燃えるには燃えるので、使おうと思えば使えるのだが、水分量の多い薪は、薪ストーブや煙突を痛める原因にもなってしまうし、なんせ煙がすごく出る。
さらに、燃えが悪い為に不完全燃焼をして、それで、さらに煙が出て、仕舞いには、室内にも充満してきてしまう。

そんなわけで、9割の薪を放置&破棄することになってしまったのだ。
無念である。

しかし、そんな失敗を繰り返しながらも、着実に経験値を生かして前に進んでいる気がしている。
【愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ】という言葉があるが、山に来て思うこと、そして、人生について考えた時、なんでも賢く、正しい選択をし、失敗のない人生を送ることが本当に幸せな人生と言えるだろうか?

失敗に失敗を重ねて、経験から学ぶことは、確かに賢くはない選択かもしれないが、人生というものは、そういうものなのではないだろうか?
ロールプレイングゲーム同様、最も大切なのは『経験値』であり、誰かの経験をもとにした正解を渡り歩くことではないのではないだろうか?
もちろん、歴史から学び、その先へ進むことはとても大事なことで、それがあってこそ、人間が築き上げてきた【文明】がここにある。
だが、人生の中で、時には、歴史から学ばず、自らの経験をもとに学び進んでいく時期があってもいいじゃないかと思うのだ。

-MARK'S BRAIN:思考, MARK'S LIFE:日常, MOUNTAIN LIFE:山暮らし, PROBREM:問題, RPG人生