精神的疲労から肉体的疲労へ

昨日の朝、蛇口を開けても水が出なかった。
ここにきて4年も経つというのに、いまだに水の問題に悩まされ続けている。
ただ、今回は、一つの原因ははっきりしていて、一番下にある外水道のワンタッチホースが緩んでしまっていて、そこから、水が漏れていたことが原因なのだが、それだけで、一滴の水も出なくなるということは考えられなかった。

そこで、もっと重大な原因として、しばらく前に道路を拡張しようとしたときに、水道のホースを切断してしまったのだが、その際、ホースが引っ張られ、器具との接合部に緩みが生じているのではないかと疑っていた。
どうも、その辺りの時期から、水の勢いが減っている様な気がしていたのだ。

しかし、ホースがどこをどう通っているのか、全くわからない。
そして、今回は厄介なことに、アスファルトの中に埋もれている。
アスファルトを剥がさないと、ホースの状態を確認することができないのだ。

水というのは、まさに「命の水」と言える。
水がなければ生きられないのはもちろん、日常の些細なことでも、とんでもない不便さを感じるものなのである。
それが、精神的にダメージを与える。

そして、今回は、明確な原因の究明が困難で、それを確認することも容易ではない。
こうなると、精神的な疲労から、肉体的な疲労へと移行し、少し動くだけでも疲れ、気力も奪っていく。
かといって、無視するわけにもいかないし、急を要することでもある。
なんとか、重い身体に鞭打って動く。

水道管の周辺の土を退け、アスファルトに入っていく状態を見ていると、アスファルトを切断してホースを通した跡を見つけた。
どうやら、アスファルトを敷いた後でホースを通している。
ということは、接続部分がアスファルトに埋もれているということはなさそうである。

そこで、道路の逆側、以前、掘り起こして工事をしている部分を、もう一度掘り起こし、器具とホースの接続を確認することにした。
スコップで掘っていくと、ホースが見えてきた。
すると、水が出てきた。

「やっぱり、器具との接続が緩んでいたんだ」
と、思ったのだが、実際には、スコップでホースを切ってしまっていただけだった。

結局、器具とホースに緩みはなかった。
ただ、ホースを傷つけたことで、出費と修復の手間が増えただけだった。

ホースを繋ぐ継手を買いに行き、傷つけた部分は無事修復できた。
今度は、貯水槽から続いているホースの中の空気を抜く作業をする。
空気を抜くためのバルブを開け、そこへ大きいバケツ二杯分の水を注ぎ込む。

次は、軽トラに、カレヤン(Porsche911)で使っていたバッテリーと、ブースターケーブル、直流電源を交流電源に変換するためのインバータを積み、貯水タンクのある場所へ向かう。
そこには、一般的に井戸に付いている送水ポンプがある。
以前は、電力会社からの電気を引いていたが、毎月の基本料金がもったいないと思い、契約をやめ、必要なときに車のバッテリーから電力を供給してポンプを回す様にしている。
今回も、バッテリーとインバーターを繋ぎ、ポンプを回す。

ポンプをしばらく回し、その間に、水を全開で排出することで、ホース内の空気を完全に排出することができるのだが、一度目は、水の排出が少なく、空気が残ってしまっていた。
「終わった〜」と思った後にやり直すというのは、気力を何倍も奪う。
それでも、やめるわけにはいかないし、水は「また明日」というわけにもいかない。

結局、一度片付けた器具類をもう一度積み込んで、同じことをする。
今度は、十分に水を排出し、空気を完全に出す。

朝、起きた瞬間から夕方までかかって、ようやく、まともに水が出る様にできた。
体力的には、大したことはやっていなのだが、精神的にダメージが大きかった。
それは、同時に、体力的な疲労へとつながることを実感した。

翌日は、とても体を動かすのに辛いほど、体に疲労を感じていて、ほぼ、一日中動くのが辛かったのだ。
精神と肉体は連動しているとは思っていたが、ここまで顕著につながっているとは思わなかった。
やはり「病は気から」は合っているんだと実感した。

嫌だ嫌だと思いながら仕事なんかをしていたら、肉体的にも体力的にも衰え、免疫も下がっていくのだろう。
逆に、楽しくて嬉しくてワクワクしながら日々を過ごしていたら、肉体的にも健康を維持できるものなのだろう。

ストレスを一切無くすというのは、生きている以上無理だとしても、強いストレス下にさらされ続けるというのは、精神だけでなく、肉体をも蝕む原因となりえるのだ。
僕も、何度も水トラブルに遭遇することで、かかるストレスは多大になっていることを感じた。
あとは、ゴルフ練習場の投光器の光も解決しなきゃなぁ。

-MARK'S LIFE:日常, MOUNTAIN LIFE:山暮らし, PROBREM:問題