犬も繋いだ

犬も繋いだ。
繋いでから、もう実は半月が経つ。

犬を繋いでおくというのは、世間の常識なので、犬を繋いだからと言って、だからなんだってことなんだけど、広大な私有地があるのだから、本来は、この広大な土地の中で自由に遊んでいれば、特別、文句を言われないのだろうが、ヤギも同様、敷地を超えて、他の人のいる場所へ行ってしまっては、話が別である。

山を超えて、山の反対側にある射撃場へ行ってしまったということは、ヤギを繋いだときの記事にも書いた。
こうして、他の人に危害や多大な迷惑をかけたわけではなくとも、人のいる場所に行ってしまったこと自体が、この社会ではNGなのことだ。

これは、この地球上を実効支配している人間様の作ったルールに従わなければならないという掟に反するわけなので、仕方がないのである。
そんなわけで、自由にしておきたきゃ、山をぐるりと取り囲む巨大フェンスでも作らない限り、犬もヤギも繋いでおくしかなくなってしまったのだ。

もう、三度やっているし、そのうち二回は、連続であるし、警察と役所にお世話になってしまっているので、もう、これ以上飼い主としては許すわけにはいかない。
そんなわけで、単なるロープでは、犬が噛み切ってしまうため、ワイヤーで繋いである。

それでも、以前には、首輪のバックルを外し、今回も繋いでから、首元に留めているシャックルのネジを回して外していた。
バックルは、噛みつけば偶然外れることがあるにしても、シャックルのネジをクリクリと回して、犬がとってしまうとはとても考えられない。
しかし、現実に起こっているので、認めざるを得ない。
または、妖精のおじさんが住んでいて、ネジをクリクリと回して外してしまったということも、考えられなくもない。

繋いでしまうと面倒なのが散歩である。
今までは、朝好きな時に起きて、好きな場所に出かけて、好きなところでうんこして、好きなように帰ってきて、欲しい時に飯を食うという生活だったので、一般的な犬を飼っている人たち同様に、朝、散歩に出かけなければならない。
まあ、そのおかげで、自分自身も朝の散歩をすることになって、健康維持に役立っているとも言えるので、まあ、良しとしたいが。

犬というのは、長年に渡って人間のペットとして生きてきているためか、繋がれていることにすぐに慣れてくるような気がする。
ヤギも家畜として、同様に、長い年月を人間と過ごしていることで、ヤギも犬もDNAに「飼われる」ということが刻まれているようだ。

そのため、繋いでしばらくのうちは、抵抗しようという意識があったようだが、しばらくすると、ヤギも犬も、さほど抵抗しようという考えがなくなっているようで、FANは、首輪を取ろうとも思わないようだし、ワイヤーを噛み切ろうという仕草もなく、大人しく繋がれている。
OPERAも、今までは、ロープをぐいぐいと引っ張って、きつく縛っておいたはずのロープを外してしまったり、力の限り引っ張ってみたりしていたのだが、最近は、大人しくよく従っているのだ。

昨日も、ちょいと、FANでも連れて出かけてみようと思い、車に乗せようと思ったら、自分でJくん(軽バン)の荷台に飛び乗った。
よく慣れた様子の犬が、車に自分から乗ったり降りたりする光景を見るが、教えるわけでもなく勝手に車に乗ったり降りたりするようになっていた。
以前は、車に乗るのも降りるのも怖がっていたのだが、繋いだことによって、今までのような自由な野生動物から、人間に飼われるペットという意識に変化したのだろうか?それを見て、僕は思った。

やっぱ、犬は犬なんだな。

と。
今まで、自由が一番だと思っていたのだが、犬は、もう長い間、人間に飼われていることが当たり前になり、飼われていることが最良の生き方なのかもしれない。
ヤギも、結局は、人間が近くにいて守ってくれることを第一に望んでいる。
OPERAもFANも自由にしていて、山を超えていっちゃったのは、FANが発情をしていて、オスを求めて遠出していってしまうときに、OPERAは、僕が出かけている間、人になるのが嫌で、FANについて行ってしまったことが、事件の発端になっている。

結局、犬もヤギも、人間が保護しながら飼ってやるのがいいのかもしれないと、この2週間ほどで思っている。
それが、犬というもの、それがヤギというものなのだろう。

-ANIMAL:動物, MARK'S LIFE:日常