10月中旬あたりに、わさびを植えようかと思ったら、考えることが同じようで、山友が一足先にわさびの苗を購入して、お裾分けしてくれた。
ってことで、わさびを沢に植えることにした。
試しに、わさびの葉っぱを少しOPERA(ヤギ)に上げてみたら、バクバクっと食べたので、そのまま植えたのではヤギに食われるってことで、杭を用意し、その周りに電気柵の線を張り巡らせることにした。
そこら辺の細い丸太を切って、先の方を尖らせて杭を作るのは、もう手慣れたもので、チョチョイとやって出来上がり。
ハンマーと電気柵の線と、わさびの苗を持って沢の上流へ上がった。
杭を、適当な場所に打ち込み、電気柵の線を張り、わさびの苗を植えよう・・・
「お、お、おいっ!コラ!待て!・・・待って〜〜〜」
ビニール袋に入れてあったわさびの苗を、ビニール袋の中に顔を突っ込んでOPERAの野郎が、苗を咥えてやがる。
あちゃ〜!
10本づつ苗が束ねられていたため、ひと咥えで10本が口元に。
追いかけるが、逃げるだけ。
せめて、何本が落っことして〜、と、祈りつつ追う。
しかし、山の斜面をササっと逃げられてしまった。
歩いて行った後を辿ると、2本だけ落ちていた。
約半分食われてしまった。
「くそー、今度こそヤギ鍋にしたろうかぁ」
と、思ったが、最近のOPERAは体臭が臭いので、ヤギ鍋にしても臭くて食べられないかもしれないと、リアルに考えて却下した。
気を取り直して、わさびを植えていく。
ホント、動物も虫も、ほとんどの人間もだけど、なんで待てないんだろう。
待っていれば何倍にもなるのに、それを考えないで、今、あるものは全部食べちゃう。
ヤギもそうだけど、犬もそう。
烏骨鶏だって、雄雌いたら、卵を産んで育って、また卵を産んで育って、と繰り返せば、たった二羽から、卵も鶏肉も永遠と言ってもいいほど得ることができたのに。
今日も、うちのFAN(犬)は、山で鳥に襲いかかるも、逆に反撃されたらしく「キャン、キャーン」と泣いていたほどだ。
飛び立っていった鳥は、ぱっと見『鷹』っぽい感じだった。
ありゃ、勝てそうもないなぁ。
そんなに苦労しても、捕獲できないんだから、烏骨鶏が増えるのをじっと待てばいいものを、ホントにバカなんだなぁ。
今回のわさびも、量が半分になれば、収穫も半分になってしまい、OPERAが食べることができるわさびは当然減る。
逆に、電気柵で囲われている、今年の畑には、トマトやナスがワンサカ成っているので、OPERAだって、毎日、たらふくトマトを食べることができているのだ。
そうして、何倍もの収穫を『待つだけ』で得られることを学習してくれるといいんだけどな。
人間社会だって、待てば収穫は何倍にもなる
この世界は、資本主義社会と言われる。
大きく分けて、二種類の登場人物がいる。
一つは【資本家】、一つは【労働者】だ。
資本家は、多くのものを『先』に出して、多くのものを『後』に受け取る。
労働者は、少しだけを『後』に出して、少しだけを『先』に受け取る。
例えば、会社を作って運営していくとき、資本家は、先に多額の資金を出す。
それによって、会社を設立し、売上の無い中でも運営していくことができる。
その間、労働者は、労働を提供し、翌月には、労働の対価を受け取る。
そこに、売上があるとか、利益が出ているということは関係なく受け取る。
資本家は、利益が確定されてから受け取る。
利益がなければ、受け取れないどころか、最初に投入した多額の資金さえも失う可能性がある。
労働者は、労働の対価を1ヶ月でも受け取ることができないと、会社を悪者にし訴える。
資本家は、その何百倍、何千倍もの資金を失っても、誰にも請求することはできない。
これが、資本主義社会の構造だが、それは、野菜が育つことも、鶏が卵を産むということも同じことなのである。
種を撒き待つ。決して種まで根こそぎ食べてしまわずに残しておく。
鶏が卵を産んでも食べずに待つ。孵化して育ち、一定数になるまで待つ。
それが出来るものこそが、大きな収穫を得る。
とは言いつつも、究極的には、この世は『足りなくなることはない』ので、今だけを見て行動してもいいんだけどねぇ。
でも、待った方が楽じゃ。