スーパーの袋、どうするか方針変更

スーパーの袋、最近では、MYバッグを持つ人が増えているが、決してスーパーの袋が悪者というわけではない。スーパーの袋は、保存しておいて、ゴミ袋として使うというのは定番ではないだろうか?

東京に住んでいるときは、行政の指定袋というものはなかったのと、マンションの各階にゴミ置場があり、24時間365日いつでもゴミを出すことができたので、スーパーの袋にゴミが溜まった都度出していたので、スーパーの袋は重宝していた。

その習慣は、この砥部町に来ても続いていた。ただし、砥部町では指定ゴミ袋があるし、いつでもゴミを出せるというわけではないので、一旦、スーパーの袋にゴミを溜め、たくさん溜まった時点で、指定ゴミ袋に詰め込んでゴミの日に出すことにしている。

指定袋があるから、スーパーの袋が無駄ということはないが、スーパーの袋というのは、溜まりに溜まってきてしまうもので、気が付いた時には、ストックされたスーパーの袋で、キッチン周りのスペースの多くを占められていることに気がついた。

なぜこんなに溜まってしまうのかといえば、袋をもらうペースに対して、使うペースが遅いからだ。ってことは、スーパーの袋は、それほどストックする必要はないというわけなのだ。逆に、ストックするスペースを取られる方が無駄だと思えてきた。

ってことで、これからは、スーパーの袋をストックするのは、本当に最小限にすることにした。足りなくなったら?ということもあるが、ウチには、昔買って、使っていないビニール袋がわんさかある。これらは、24時間365日ゴミ出し可能生活の前に買ったものだ。スーパーの袋をゴミ袋として使うようになってから、お蔵入りになったままのビニール袋が、未だに残っていたというわけだ。

そんなわけで、いつまでも、そんなものも取っておいても仕方がないので、どんどん使うことにしたのである。

人生は、必要なものは、必要な時にちゃんと来る。ということを信じ切っていれば、必ずその通りになる。「いつも何かが足りない」「足りなくなったら、どうしよう」「心配だから必要以上にストックしておかないと」など、不足感、不安感を抱えながら生きている人は多い。

「どうにかなるさ」「大丈夫、大丈夫」「心配したってしょうがないじゃん」なんてことを思って生きている人は、周りから変人とかおかしい人などと言われ、アリとキリギリスのキリギリスのような運命を辿るのだ。などと比喩されるかどうかはわからないけど、まあ、いい印象は持ってもらえない。

スーパーの袋で人生を論じるのには無理があるが、とにかくつまらないストックはやめることにしたのである。これは、スーパーの袋だけではなく、あらゆるものに言える。大概、長年捨てずに取っておいたものを「もういい加減使わないから」と、捨てた後で「あれ、どっかにあったよなぁ。あっ!こないだ捨てたんだ、あー、捨てなきゃよかったのに〜」なんて思うことは、結構多い。今までは、「捨てなきゃよかった」と思っていたが、よく考えてみると、捨てなかったら、使う機会は訪れていなかったのではないか?と思うようになった。

今まで使わなかったということは、人生に変化がなかったからで、捨てるという変化があったからこそ、使う機会が訪れたのではないかと考えるようになったのだ。結局、人生は変化させることが必要なのだ。そうでなければ。年月を重ねる意味はない。

いやはや、スーパーの袋で、風呂敷広げすぎちゃった。

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