連絡帳、、、飛ぶ!

今や、紙の連絡帳など誰も使っていないのでは無いか?
と、思えるほど、デジタルによる保存が当たり前になった。
さらに、昔は、親しい人の電話番号などは、覚えていたものだが、今ではすっかり番号を押すことがなくなり、誰の電話番号も記憶にない。

そんなデジタル時代には、頼もしい味方が存在する。
それが「クラウド」である。

スマホやPCなどの一つの機器にデータが保存されているだけでなく、複数の機器に同時に存在し、さらにWebサーバー上にも記録されているとなると、世界が破滅でもしない限りデータが消えてなくなるということはないように思える時代になった。

しかし、便利なものが進めば、それと同時に脆さも出てくるもの。
今回は、そんなデジタル時代の脆さを、モロに味わった経験をお話ししよう。

連絡帳は、iPhone、Mac、クラウド上のiCloudの三箇所に保存されていた。
この三つは、同期している。
なので、iPhoneに電話がかかってきて、その連絡先を登録すれば、自動的にiCloudに保存され、Macの連絡先アプリ上にも同期される仕組みだ。

しかし、長年使い続けてきて、スマホやMacを何度も買い換えてくると、連絡先の「重複」という問題が起こる。
さらに、見ても誰だかわからなくなっている人や会社、お店が何十件、何百件と登録されている。
こうなると、連絡帳を使用するのに不便になってしまう。

先日、僕は、iPhone12miniに変えた。
スマホはスッキリ新しくなったのだが、連絡帳を見ると、同期されて、グチャグチャ状態。
これも、スッキリ整理させたいと思った。

iPhoneでチマチマやるのは手間だったので、Macで重複先を整理したり、いらない連絡先を削除したりしていた。
で、同期すれば完璧なはずだったのに・・・・

元に戻ってるじゃん!

それは、Macのデータが、他の二つにコピーされるわけではなく、iCloud上のデータが、Macにコピーされてしまったため、結局、元の状態になってしまったのだ。
ってことは、クラウド上のデータをいじらなければならないが、ブラウザでアクセスするiCloud内の重複したデータを自動で整理する機能がない。
これでは、一つ一つやらなければならない。

面倒である。

なんとか、うまいこといかないものかと思い、iCloud上のデータを全て削除してみた。
そうすれば、MacのデータがiCloudにコピーされるのではないかと考えたわけだ。

すると今度は、iPhone内のデータがiCloudにコピーされて、そのデータがMacにコピーされてしまった。
これじゃあ、いつまで経っても整理できない。
そこで、今度は、iCloudとiPhoneのデータを削除してみた。
そうすれば、Macのデータがコピーされるかと考えたわけだ。

さあ、うまく行くかなぁ・・・

と、思ったら、Macアプリの連絡先がすべて消えてしまった。

あれっ?

どこのデータが優先されているか?
ということがわからなかったが、やはり、iPhoneのデータが最優先されていたのだろうか?
それとも、同期設定の順番が悪かったのだろうか?

今となっては、もう、どうしようもないのだが、とにかく、連絡先が一つも無くなったということである。

ただ、これも、現代の強みだが、LINEやFaceBook、Eメールなどは残っているため、結局、親しい人たちとの連絡には困らない。
消えてなくなったのは、一般的な電話番号だけなのだ。

一般電話などは、実際、ほとんど使わなくなっている昨今。
正直、連絡先など消えて無くなっても、どうということはなかった。
ただ、電話がかかってきたときに、誰だかわからないというだけであって、こちらからかけることはほとんどないし、会社やお店はググればすぐにわかるので、連絡先に入っている必要もないのである。

現代の若者は、データ専用SIM

以前、入社した若者が持っていたスマホは、データ専用SIMだった。
電話番号は書いてあったものの、緊急の用事があり、電話をかけたときに通じなかったのだ。
今後の時代において「電話番号」というものなどは、無くなっていくのかもしれない。

僕自身も、会社をやっていなかったら、データ専用SIMにしていただろう。
正直なところ、ずっと昔から電話が大の苦手で、大嫌いなのだ。

電話というものは、かける方にとってみれば、都合が良い。
自分の都合の良いときにかけ、相手と会話ができるので、欲しい情報をすぐに聞くことができる。

しかし、かけられた方は、強制的に電話に出なければならない。
いや、出たくなければ出なければいいのだが、実際には、そうもいかない。
なぜなら、どういう要件で電話をしてきているのかが、出てみないとわからないからである。

これが、メールやLINEなら、チラッと確認して、急ぎの要件であれば、すぐに対応し、そうでなければ後回しにできる。
ところが、電話というのは、用件を言う前に「今、お電話よろしいですか?」などと、いかにも相手を気遣っているふうに話を始めるが、「それは、用件によって異なる」わけで、どうでもいい用件なら後にして欲しいし、急ぎなら今すぐに応対する。
なので、とりあえず「お電話よろしいですか?」と聞かれた場合、よっぽどダメでなければ「はい」と答えてしまうものなのである。

さらに、相手の言っている内容を、すぐに思い出すことができなかったり、そんな状態の中で判断することを求められたりしてしまう。
メールであれば、じっくりと思い出し、必要であれば過去のメールを見返し、冷静な状態で判断して答えることができるのだが。

電話は、時間を決めて通話するのがいい

というと、なんだか変な感じに捉えられるが、実際には、このやり方は、コロナショックによって当たり前になっている。
それは、オンライン会議など、会話が必要なときには、事前に時間を決めて、ZoomやGoogle Meetにアクセスするわけなのだから。
同じように、会話が必要なら、二者間であっても「会議」のように時間を決めて通話すればいいし、会話が必要でないことは、メールの方が文章残るし、ゆっくり考えることができていい。

しかし、もちろん、そればかりではない。
ほとんどの時間で、いつ電話がかかってきても歓迎できる相手というものはいる。
それが、どうでもいい用件であっても、くだらない会話であってもだ。

その筆頭は、離れて暮らす家族だろう。
他には、恋人や親友などは、かけてくれることだけで嬉しいものである。
そう思えば、一概に電話がすべて嫌なわけではないが、結局、親しい人というのは、電話だけでなく、メールでもLINEでもFaceBookでもつながりがあるわけなので、連絡帳が消え去ってもなんの支障もないってことが、今回の出来事でわかったことである。

データ移行が簡単な時代だからこそ、あえて消す

Macを新しくしたときに、データをタイムマシンで移行しなかった。
必要なデータは、外付けHDDに入れただけで、あとは消してしまったし、新しいMacのHDD内は、スッキリとカラから始めた。
そして、iPhoneも、新しくなって、こちらもカラから始めた。

データの移行は、とても簡単にできる時代になった。
以前は、データ移行で失敗することも多く、その度に、打ちひしがれていたのを思い出すが、今は、あえて消すということが必要な時代だ。
古いデータを消さなくても不便はないかもしれないが、生き物に「死」があるように、どこかの時点でリセットする方がいいということになっているのだと思っている。

「死」を迎えれば強制的にリセットされるわけだけど、このリセットが良い効果を生むためにあるのであれば、生きている間でもリセットをすることによる効用があると考えても不思議ではない。
死によるリセットは、すべてがリセットされてしまうが、生きている間のリセットは、必要なものは残し、部分的にリセットできるという便利さがある。

両手いっぱいに手に入れたものを持ち続けていれば、新しいものを手にすることはできない。
これは、実際の物だけなく、様々なデータ、脳内の情報、本棚の本、机の上に広げられた資料、友人や知人、住まいや環境、そうしたもののすべてが古いままでは、新しいものは手に入らない。

新しいものを手に入れるためには「手放す」ことが必要なのだ。

僕は、今までの人生において、きっと他の人たちよりも多くのものを手放してきた。
そのため、新しいものを手に入れることができたと考えている。
もちろん、一度手放せば無くなるし、次に手に入れるためには、多くの労力と時間が必要になる。
そんな苦労をしてまでも、新しくしなくていいと考えている人もいるだろうが、結局は、人生の最後にはリセットになってしまうのだ。
そうしたら次の経験をするまでの間「オギャー!」と泣き叫ぶところから始めなければならない。

なんでもあげちゃう凄い人

しばらく前に知り合った人で、凄い人がいる。
その人の持ち物を見て「欲しい」と言うと、なんでも「いいよ」とあげてしまう人である。
「あげるもの」と「あげないもの」を選別をしているのではなく、言われたらなんでも「いいよ」とあげてしまうらしい。

ハリウッド映画で「イエスマン」と言うのがあったが、状況的には、それと同じである。
ただ、映画の中ではイエスマンは、滑稽な人々として描かれていたが、実際には「いいよ」と言われてしまうが故に、そうそう簡単に「欲しい」と言う人は少ないのが現実だろう。

それでも「欲しい」と言われれば「いいよ」と言う返事が返ってくる。
それを聞いたときに、僕は「神だ」と思った。

これは、マスターと呼ばれる、人を導くために世にいる本当に凄い人だと僕は思っている。
僕も、実際、そうしたいと思ってはいるのだが、なかなか、心の奥底から、そうは思えるようなところには達していない。

ただ、理屈ではわかっている。
まず、いたずらに「欲しい」「ちょうだい」と言う人は、周りにいなくなり、素晴らしい人々だけが残ると言うこと。
そして、何をあげても、それ以上のものが、別のところから返ってくる。
これは、手放せば手に入ると言う法則に乗っ取っているから、必ずそうなる。

なので、欲しいと誰かが言う前に「あげたい」という思いの方が強いだろうし、あげたときに喜んでくれるのを見るだけで良いと感じる。
それでいながら、あげたものよりも良いものが返ってくるのだから、倍返しならぬ、100倍返しほどになって戻ってくる。
と言うことは、百も承知である。

ただし、この世の中においては、手放した時と、次に手に入る時のタイムラグはある。
これが、この世の法則なのだ。

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