8月24日、ジャイアンから電話がかかってきた。
「ソフトボールきいへん?」
以前から、バレーボールだとか、ソフトボールだとか、卓球だとか、そんな話を聞いていた。
町主催?なのか、町全体で、いろんな催しをやっているようなのだ。
しかし、元来、僕は、スポーツは得意ではない。
特に、球技は、これっぽっちも出来ないし、チームプレイはめっぽう苦手。
なので、なんとなくそんな話を聞いても、やんわりとやらないオーラーで参加しないできた。
小さな田舎町の催しに、うまいも下手もないのだけど、それでも、チームスポーツというのは、勝ちたい、うまい人に参加してもらいたいという思いは、あるものだろう。
僕など、出ても、結局は、足手まといになる。
そう思ってきたのだが、消防団に誘われた時のように、個別に誘われてしまうと、それも、雑談の中の一コマではなく、直球で誘われると、どうにも断れない。
僕は、反射神経が鈍い。
反射神経というのは、神経を通って脳に信号が行かず、筋肉の反射だけで動く場合もあるが、それではなく、信号が脳に行き、脳で判断して、筋肉に信号を返す方の反射真剣は、すこぶる悪い。
なので、何か言われたときに、とっさに言い訳的な言葉が出てこない。
それに、心の中では「頼まれごとは断らない」という意識があるため、どうしても、「いいよ」と言ってしまうのだ。
そうして、めっぽう苦手な野球(ソフトボール)へ参加する事になってしまった。
「日曜日試合で、金曜日に練習があるけん」
とりあえず、行くだけ行けばいいだろうという思いで、まずは、金曜日の練習へ。
みんな、遊びでたらたらとやっているだけかと思いきや、きっちり、マイグローブとマイシューズ、それに、意外と練習も本格的。
ありゃりゃ、オレ大丈夫かな?
体力的には、山仕事をしているだけあって、皆さんよりもありそうだけど、なんせ、技術は、まるっきりない。
せめて、少しでも役に立とうと、翌土曜日にバッティングセンターへ行ってみた。
結果は、まあ、いつも通りのダメダメ。
フォームチェックのためにビデオを撮ってみたけど、まさに「THE素人・・・以下」( ̄▽ ̄;)
帰ってから夜まで、Youtubeでバッティングに関して映像を見て、定規を持って練習するが・・・
翌日曜日、いよいよ試合
人数が足りないので誘われたのか?と、思ったけど、そうではなかった。
いつものメンバー的な人たちがいて、僕は、ベンチ。
ジャイアンが、誘ってくれたのは、引きこもりがちになっている僕を引っ張り出してくれたのだろう。
しかし、暑い中、ベンチに座っているのもつまらないので、何か理由をつけて帰ろうと画策するも、意外と、見ているだけでも面白くなってきてしまった。
やっているプレイよりも、ベンチから飛ぶ、仲間へのヤジが面白い。
笑い転げながら、見入ってしまっていた。
これなら、出場するよりもベンチでいいかな?
第一試合は、なんと、圧勝でコールド勝ち。
第二試合、とりあえず、打つだけで出場する事に。
一応は、練習してきたし、イメトレして打席に立った。
「ブンっ!」と、バットを振ってみたが、へっぴりごしの素人は改善されていなかった。
やっぱり、Youtube見ただけじゃ、体は動きゃしない。
それでも、なんとか、守備のエラーで出塁。
満塁の場面で、得点に貢献できたりもした。
トイレ作り、畑作り、慣れない野球で、全身筋肉痛
先週から、野外トイレ作りと畑作りを旺盛にやっていて、ガンガンに体を使っていたところへ、慣れない野球(ソフトボール)で、ほぼ使っていない筋肉を使った。
なので、全身の筋肉が悲鳴を上げている。
バキバキに痛い。
この年になると、3日後に筋肉痛が押し寄せるのだが、今日が火曜日ってことは、練習とバッティングセンターで使った部分がきている。
明日には、試合で大したことはやっていないが、それでも、小学生以来のバッターボックスに、全力で走った事による筋肉疲労が出てくるだろう。
曇っていて、作業日和なのだが、軽くやるだけにしておいて、大人買いした漫画でも読む事にする。
今度は、綱引きとか、カーリングのような競技とか、吹き矢なんかがあるらしい。
都会に住んでいたら、地域の祭りへの参加もないし、こんなふうに、地域のスポーツイベントなどもない、学校か、大きい会社に所属していなければ、こうした機会は訪れない。
地域の活動を、うざがる人もいるが、僕にとっては、とても新鮮。
地元浜松で、小学校低学年の時に、お菓子をくれるからと言われて参加したお祭り以来ではないかと思う。
40年ぶりに、こうした地域活動に参加する事になるとは思わなかったが、こういうものは、本当に心から残っていって欲しいと思う。
こうした活動に参加したいタイプではないが、それでも、無くなってしまった場所(東京都心)に住み続けたからこそわかることは、人同士が接しなくなれば、それは、無関心から、何かことが起こると疑心暗鬼になり、相手を「敵」と認識してしまいやすくなることだ。
それが、今回のコロナショックで、露呈したのではないかと思う。
僕が参加するのは、ほんの少しだし、自分から積極的に参加することはない。
それでも、町内の多くの人たちと顔を合わせる。
そうしたことが、功を奏する事になっていくことは、考えなくてもわかることだ。
世界は近くなったが、近所は遠くなっている
インターネットの普及、オンライン化の促進により世界は近くなった。
世界中の人たちと、瞬時に顔を合わせて会話ができる。
物理的にでも、飛行機に乗れば、行けない場所はない。
しかし、逆に、都会では、ご近所の人々との距離は遠くなる一方なのではないだろうか?
マンションの隣の住人とは、相変わらず挨拶程度ではないだろうか?
いつも同じ電車に乗る人たちの顔はなんとなく知ってはいるが、言葉を交わしたことも、目を合わせたこともないだろう。
町会長さんが誰なのか?
マンションの管理人のおじさんの名前も知らない。
隣の人の名前すら知らない人たちは多い。
本当に繋がるべきなのは、そうした人々ではないか?
これからの時代、特に、災害が多発しているこの時代。
ご近所ネットワーク構築が、最大の課題ではないかと、そんなことを思った。
まっ、それはさておき、体が痛い・・・