セント・オブ・ウーマン 夢の香り(その2):1992年アメリカ

セント・オブ・ウーマン 夢の香り(その2)
【Scent of a Woman】

先日は、毒舌と饒舌について書いたが、
もう一つ、本題の「香り」について。

なぜ、この映画が「香り」を主体にしているのか?
そして、主人公が盲目なのか?

そう思った時、ふっと先日行った
ダイアログ・イン・ザ・ダークを思い出した。

真っ暗闇で、目が見えなくなったとき、
生きる上で、ほとんどを視覚に頼っているため、
見えなくなると、急に「何も出来ないのではないか?」
と、感じる。

しかし、数十分もすると、視覚の代わりに
聴覚が発達していることが分かる。

と、それを思い出した。

視覚を失う代わりに、
嗅覚が鋭くなることの意味がここにある。

映画の中では、声を聞いて「美しい声だ」という場面があるが、
ダイアログ・イン・ザ・ダークでも、
参加している僕たちは、同じように思っていた。

もともと、目が見える世界にいたわけなので、
美しさを映像(視覚表現とでもいうのか?)で表す傾向にあるが、
真っ暗闇Barにいた女性の声の美しさを思い出す。

声が美しい=顔が美しい
と、勝手に決めつけている。

実際には、イメージ通りではないだろう。
しかし、僕たちは目が見えることで非常に損している感じがする。

声や香り、感触など、他の器官の素晴らしさを堪能することがあまりない。
と、いうか、まず視覚で判断して、その“視覚”試験を突破しないと、
次の試験を受けさせてもらえないという具合になっている。

感触で思い出したが、映画の中でも最高の女性を抱きに行くシーンがある。

もしかして、視覚的には美しいとは言えないかもしれないが、
視覚以外で、特に「感触」に集中したら、どんなに素晴らしい体験になるだろう。

僕たちは、見えることに慣れすぎている。
もちろん、見えることは素晴らしい。

しかし、そこに頼りすぎたり、
常に使いすぎず、たまには目を閉じ
耳を澄ませ、鼻を利かせ、感触に集中してみることは重要だろう。

そして声や音でないものを聞き、
光の反射でないものを見て、
空気に混じっていないものを嗅ぎ、
肉体に触れていないものまで感じる。

そうした体験は、人生を何倍にも素晴らしいものにしてくれる。
この映画は、それを伝えるための映画ではないかと感じた。

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