FAN(犬)劇的変化

昨日から、FANの行動が劇的に変化した。
今までは、頑なに小屋から出てこなかったのを、毎日、引っ張り出して外の環境に慣れさせるようにしていたのだが、2週間続けていて、僕は正直、いい加減に嫌になっていた。

それに加えて、一昨日の、夜中の脱走事件。
昨日の朝は、眠いし、疲れたし、ごはんや散歩を喜んで待っているわけでもなく、嫌がるFANを無理やり外に連れ出すのは、本当に億劫だと思いながら、朝の散歩の準備をしていた。

で、小屋に行って、いつも通りにまずは声を掛ける。
「おはようFAN。行くよ!」
いつもなら、こう話しかけると、余計に小屋の奥に引っ込んで抵抗の準備をするのだが、昨日の朝は、なんと

すんなり出てきた

「あれっ?」
もう億劫だったので、出てこないなら散歩に行くのをやめてやろうかと思っていたのだが、すんなりと出てきたので、ちょっと拍子抜けした。

外に出てしまえば、なんの抵抗もなくスタスタと歩くのは以前からだが、さらに変化があった。
外で、しばらく繋いでおくと、物陰に隠れていたのだが、ほとんど隠れることがなくなったのだ。

今までは、物陰に隠れ、呼んでも出てこないばかりか、もっと奥へ進もうとしていたのだが、昨日は、物陰に隠れることがあっても呼ぶと出てくるようになった。

さらに、朝、FANを連れてOPERA HOUSEへ行くのだが、FANは扉っぽい物をすごく怖がっていて、ゲートを開けると中に入らないどころか、後ずさりし抵抗していた。
OPERA HOUSEのゲートの前でも止まって抵抗するので、無理に中に入れず、外に繋いでおいていた。
昨日もいつも通り、ゲートの外に繋ぎ、僕だけがゲートを開けて中に入っていったのだが

あらら、着いてきた

もうゲートも怖くなくなったのか?

こうした変化は、きっと、動物愛護センターのしつけ教室へ行ったことがきっかけだろう。
移動は、きっと死ぬほど怖かっただろうけど、センターで懐かしい匂いを嗅ぎ、仲間たちと遊び、たくさんの人にも会った。
楽しいことばかりで、辛いことも怖いことも何一つなかったのだ。

もちろん犬の考えも、気持ちも、思いもまったくわからないが、このことによって、小屋から外に出ても大丈夫だということ、どこかに連れて行かれても大丈夫だということを覚えたのではないかと推測できる。

動物愛護センターへ行く途中に寄ったいつものガソリンスタンドで、スタッフのおっちゃんのところも保護犬を飼っているとの事だった。
どのくらいで慣れてきたのか聞いてみたら、やはり、2、3ヶ月はかかったといっていた。
ネットで検索すると、半年とか1年とか。

まだまだ『慣れた』といっていいレベルではないが、今回のことを劇的変化といっていいと思うし、かなり早いのではないかと推測できる。

実は、しつけ教室へ行ったこと以外で、功を奏しているであろうことがある。
それは、OPERA(ヤギ)の存在だ。
多くの家庭では、人間ばかりの中に犬が入ることになるが、うちには、似たような4本足のヤギがいた。
OPERAの協力なしには、FANの心は開かないというのは確信していた。

OPERAの変化

今までのOPERAの態度は「嫉妬」しかなかった。
自分のテリトリーを主張するばかりで、FANのことは無視し続けた。
いじめることもない代わりに、目を合わせることも、近づくこともなかった。
だけど、僕は、

OPERAに再度お願いをした

OPERAは、幸せな大家族の中で生まれ、飼い主の人間もとても優しかった。
飼われている所も、数百坪はある、走り回っても十分な広さがある場所で悠々と育てられた。
小屋には、たっぷりの敷き藁に、十分な草の量、大好きな大麦も。
そして、いつもお母さんと一緒だった。

だけど、FANは違う。
実際のことはわからないが、きっと、お母さんは殺され、自分たち三姉妹は連れ去れ、コンクリートと檻の中での暮らし、仲間はいたが、きっと、ゲージを出て帰ってくる仲間はいなかったのではないだろうか?

そんな経験をFANはしてきたのだと、OPERAに語った。
だから、OPERAにはFANに優しくしてあげてほしいと頼んだ。

そして、OPERAも変わった。
今までFANのことなど無視していたのが、FANの近くへ行くようになった。
今では、FANの2、3mのところに、ちょこんと座っているようになったのだ。

結局、何が変化したのか?

実は、変化したのがFANであり、OPERAであるように思うが、実際には、まず変化したのは、

きっと僕なんだろう

僕の何が変化したのかというと、今までは、FANの為に何かしなければならないと思っていた。
これは、ボランティアなども同じ感覚に陥りやすいのだが

「相手のため」

だと思ってやっていると、実は、相手にとって恩着せがましく、相手の行動を期待してしまう。
要するに、

感謝されて当然

という思いになる。
これは、相手からエネルギーを奪うことにつながる。

しかし、ボランティアというのは、実際には「自分のため」だ。
自分が「人に何かしたい」「困っている人たちを助けたい」そう言った思いから行動する。
その格好の場が、ボランティアというだけなのだ。

僕は「FANのため」から、「番犬として役目を担わせるため」という目的を明確にして育てることに意識が変化した。
一見すると、役目を負わせるという方が、相手に負担を強いているように思えるのだが、実際に、自分が「思いを受ける」立場になって考えてみるとわかりやすいのではないだろうか?

こうしたことがよく分かるのが「親のセリフ」である。

「あなたのために・・・」

などと、言われたことがある人は、少なくはないだろう。
その時「あー、私のためにしてくれているんだ〜、ありがとう、お父さん、お母さん!」なんて思ったか?
ちなみに僕は、両親には悪いが、そんなことを思ったことは一度もない。

今回、FANの逃走事件をきっかけに、僕の意識は、ハッキリと「自分のために犬を飼う」というように確定できた。
そして、それが、お互いの利害に合うものであれば、FANも納得し、仕事をしてくれると思うのだ。

ビジネスライクな考え方に聞こえるかもしれないが『無償の愛』に代表される、母子の関係おいても、母は、“子が居ること”自体が報酬であると考えられるのだから、そこにもしっかりとした利害のバランスが取れた関係であると言える。

自利利他の精神で

僕は、結局すべての物事は「自分の利益」に繋がっていくと考えている。
他人のために何かをしているように思えても、それは、結局のところ自分のためになっているということを、自覚していた方が、他者の望むことに全力投球することができる。
自分のすべてを完全に捧げても、自分のためであることを知っている方が、尽くせるというものだ。
そうした考え方を、僕は

超自己中的主義者

と言っていて、これは、僕自身のことを言うときにも使っている。
そんなわけで、変化した大元は、僕自身の意識だったというわけである。

OPERAとFAN、並んで記念写真が撮れた

-ANIMAL:動物, MARK'S BRAIN:思考