人生を一日に例えると、今は昼寝だな

人の一生は、長い?短い?何を基準にそう思うのかは、人それぞれだ。爆進に爆進を重ねて、ボロボロになって燃え尽きるように終えた人の人生は、長くもあり、短くもあるだろう。よく「歳を取ると時間が早く過ぎる」というが、それは、単に人生が単調になって、やることが無くなってきただけのように思える。僕は、46歳になって、短くも、長くも感じない。ただ、今を生きているだけだ。

今、僕は、日々仕事らしい仕事をせず、スタッフみんなが働く東京・横浜の地から遠く離れた愛媛の山の中にいる。時々「僕は一体何をしているのだろう?」と疑問に思うことや、多少なりとも罪悪感を感じる時がある。周りの人たちは、僕のことは自由奔放で、いくつになっても子供みたいに好き放題生きているように見えるだろうが、実際は、そんな単純な話でもない。

人には「山に住みたくなって、東京の生活を捨てて山へ行った」と、理由の一部を話すだけだが、実際には、東京で、僕の体も心もボロボロになっていたのである。もう、これ以上どうしようもないところまで来て、山に住むことにしたのだ。もちろん、イヤイヤではない。いつかは、こういう生活をしてみたいとは思っていたので「山が好きで移り住んだ」というのは、本当のことである。

ある時、ふっと思った。人生を一日に例えると、今、いつだろう?何をしていると言えるのだろう?と。寿命を100年と考えると、ちょうど、折り返し地点あたりである。一日で考えると、今は、13:00〜14:00の間くらいだ。ってことは、昼飯を食べて、ウトウトと頭が回らなくなって、コテっと昼寝。

昼飯前の午前中は、一番動ける時。この時が「若い時」に当たる。どんな人でも、この辺が最も活動的に、精力的に人生をパワフルに送る時期だ。その後、昼飯タイム。一定の収穫を得る時だ。僕の人生を振り返っても、その通りになっている。

そして、午前中の疲れが出て、昼飯も食べて、少しグダグダとした時期を送る。その時ばかりは、何をやっても、全力で力が出ずに、うまくいかない。そして、断念して昼寝をする。

それなら、今後は、どうだろうか?
昼寝から目覚めるのは、14:30ころ、年齢で言えば50歳である。僕にとっては、あと3年半だ。その後、昼飯のエネルギーと昼寝パワーで、元気に走り回れる時が来る。その時まで、ゆっくりと昼寝をして、またパワーを取り戻して、全力で走ればいい。そう思って、自分を納得させ、日々、グダグダと生きている。

-MARK'S BRAIN:思考