近所の神社『大宮八幡宮』に毎年飾られる干支の絵。地元のデザイン科の高校生作

2024年、今年も大殺界

Googleカレンダーの、2024年1月1日に書かれた一発目の項目が、

『今年も大殺界』

いつ書いたのか記憶にないが、まあ、きっと正しいのだろう。
大殺界という言葉を初めて聞いたのは、テレビによく出ていた占星術師のおばちゃん『細木数子さん』が言っていたのを聞いた時だが、占星術自体は、僕が25歳の時に、よく当たるらしい占星術師と、あるきっかけで知り合ったことによる。

占いというのは、雑誌の後ろの方にいつも載っているように身近ではあるが、占い師に占ってもらうというのは、いっときブームに沸いた時があったが、現実には、あまりお知り合いにならないし、なかなか、占ってもらおうということにはならない。
夜、飲屋街から帰る途中に路地に座っているような人が、昔は見かけたが、今はどうなんだろう?
正直言って、お客来るのだろうか?と、思っていたが。

しかし、僕は、思い返すと、なぜだか定期的に占い師的な人と知り合ってきたように思う。
最初に占ってもらったのは、18か19の頃。
八百屋で配達のバイトをしていた時のことだった。

そこの八百屋の専務が、時々、占ってもらいに行っていたようで「永田くん(僕の旧姓)も占ってもらってきたら?」というので行ってみた。
あの時、単なるバイトの僕に、なぜ占いを勧めたのか?
今考えると、不可解にも思える。
もちろん、代金は、八百屋の経費だ。

人生の中で、たまに、不思議な出来事があり、そのことが、本当に現実だったのか、後でよく思い出せないことがある。
この、占いに関してもそう。
自分が、どこに行ったのか?さっぱり思い出せない。

ただ、その占い師が老婆だったことと、鉛筆か何かを渡され、それを立ててみるように言われやったことと、そして言われたことだけは覚えている。
鉛筆か何かは、先が尖っていて、どう考えても立つわけがないようなものだった。
で、やってみるが当然立たずに倒れた。
だが、もう一度、やってみろというので、訳もわからず、もう一度やってみると、その先っぽの尖っている、どうみても立ちそうのないものが、直立して立っていた。

「ほう、二度で立つとは」
老婆はそう言ったが、それが何の意味なのかということの説明はなかった。

きっと、他にも何か話をしたのかもしれないが、それらは綺麗さっぱり忘れ、一言だけが記憶に残っている。
「あんたは、大器晩成型じゃ」

と、これだけ。
それを聞いた僕は「俺は成人式にフェラーリで行きたいのに、、、大器晩成かよ!」というリアクション。

あとあとよく考えてみると、晩成とは、具体的に何歳のことを指すのか?とか、大器とはどの程度のことなのか?
そんなことが気になっていた。

結局、成人式の頃は、フェラーリどころか、車のローンは支払えず、女性の家に転がり込んでのヒモ人生を送っていたのだ。
20代、30代は、晩成じゃなくて、早成にしてくれよと思ったが、歳を重ねるにつれ、ググッと後ろの方の晩成でいいかな?と思えてきた。

なぜか。
後ろにズレればズレるほど、大器の器が大きくなるんじゃね?
と、思えてきたからである。

そうは言っても、あんまりずっと苦労するのは嫌だった。
そこら辺の塩梅が難しいところなのだが、幸いにも、そこら辺、いい具合に調整されていると、今では思っている。

51歳になった現在、大器とはなっていない。
だが、貧しい苦労もしていない。
貧しい苦労は、実際、散々経験してきた。
ほんの数年前までは、正直言って、苦しい人生だったのだ。

とはいえ、ずっと厳しかったわけではなく、27歳で起業した時は、思いの外うまく行った。
会社は赤字だったが、その赤字は、先行投資のし過ぎなだけだ。
当然、そのせいで、苦しんだ時期も多々あったが、それはそれでいい人生経験になっていた。
それなりにうまくいったり、落っこちたり、上がったり下がったりを繰り返しながら、ここまできた。

もちろん、この先、落っこちないとは言い切れないが、、、もういいだろ、と思う。

45歳あたりを区切りに、次の人生が始まったように思う。
ただ、大器までは、まだまだ遠い。
もちろん、大器というのが、どの程度のことを言うのか、何が基準なのかわからないが、そこら辺は、自分自身が決めればいいことなのかとも思っている。

さて、2024年、今年も大殺界ということは、今年も、何事もなくおとなしくしていろということなのであろう。
今年は、風呂とガレージを建築しなきゃならない。
今年に入って、早10日。
ちっとも、なんにもやっちゃいない。
毎日、NETFLIXをボケーっと見ているだけである。

でも、まあ、大殺界なのから、そんな日々も悪くはないのだろう。

年末、東京行きの飛行機内から。夕暮れ時の空と富士山

-MARK'S BRAIN:思考