未来がどんな世界になるか?
多くの人が、たま〜に考えることだと思う。
- 車にタイヤが無くなって、浮いて走る
- 人が乗るドローンで、飛んで移動するようになる
- テレビ電話が進化して、3Dホログラムになる
- 宇宙旅行が出来るようになる
- 硬貨、紙幣が廃止され、お金はすべてキャッシュレスとなる
- スマホは、腕時計型やメガネ型などのウエアラブルになり、画面は空中投影されるようになる
この程度は、僕が生きている間にも実現可能なのことだろうと思う。
未来というと、こうした先進技術を考えるのが一般的なのだろうが、僕としては、ここに、古いもの、忘れ去られたものが加わって、ハイブリッドなLIFE STYLEを送る人々が、どんどん増えてくると予測する。
と、偉そうに言わなくても、多くの人たちが「そんなことはテレビで見た」とか「雑誌に書いてあった」などと思われるだろう。
そう、きっと、そうなっていくのだ。
そして、僕は、そんなLIFE STYLEを送っている中の一人である。
まさに
僕が未来だ!
と、堂々と言い切ってしまっても、バッサリと否定できる人はいないはずなのである。
お金を『どう稼ぐか?』よりも『どう使うか?』が大事
田舎暮らしというと、収入の額を心配する人たちが多い。
「今よりも収入が減る」と考える。
そうした人たちは、お金の本質を見ていない。
本当に大事なところは
収入-費用=残金 → 自由に使えるお金で何するか?
だと思う。
都会にいれば確かに収入は多い。
しかし、賃貸アパートに住み、食事はコンビニや外食、スタバでコーヒー、たまに繁華街に飲み出て、最新のスマホを持ち、狭い部屋で家電製品に囲まれ、運動のためにジムに通い、肌のためと言いながら高級化粧品を塗りたくり、健康のためだとサプリメントを流し込む。
で、自由に使えるお金はどのくらい?
そして、それで何をする?
僕の経験上、ど田舎暮らしは出費がほとんどないに等しい
僕の生活費を言ってしまうと、ズバリ10万円に満たない。
内訳をざっと書いてみると
- 食料品 30,000円(昔と一緒で、高級なものを結構買うのだ)
- 外食 0円
- ガソリン代 10,000円
- 電気代 平均7,000円
- ガス代 1,000円
- ネット通信 6,000円
- iPhone(Yモバイル)2,000円
- 雑費 10,000円程度
あとは、東京へ行ったり、千葉へ行ったりするくらい。
東京暮らしの時は、最低でも年1回は奥さんと旅行へ行っていたのだが、山にいると旅行へ行きたいという気分にはならず、旅行に行っても山やど田舎に行ってしまうという始末であるため、結局、あまり旅行にも行かなくなってしまった。
ジムも家電も、高級化粧品も用がないし、元々外食もせず、お酒も飲まないので、その辺の出費もない。
結局、自分自身の役員報酬は、社員の誰よりも低くしている(東京都の最低賃金を下回っている)が、それで十分なのである。
豊かな生活とは「お金ではない」
人は豊かさを求める。
僕も豊かさを求める。
今までは、豊さはお金で買えるものだと思ってきたが、山に来て思ったことは、お金で買えない豊かさの方が多かったことに気がついた。
最も単純なお金で買えない豊かをあげると
- 新鮮で美味しい空気
- 冷たく澄んだ沢を流れる水
- 家にいながら、ずっと向こうまで見渡せる景色
- 四季折々の移り変わる自然の情景
- 小鳥たちのさえずり
- 木々の間をすり抜けて吹き、肌を撫でていく風
- 好きな時に好きな場所で見て楽しむことができる「火」
- その場で採って、その場で食べることのできる天然の山菜
- 森の動物たちとの偶然の出会い
真冬に、風呂を焚きながら火の前にいて、そこで、LINEをしていた時、「今、風呂を焚いている」と送ると「寒そう」と返ってきた。
「火の前にいるから暖かいよ」と入れると、その返答は「贅沢!」であった。
その時、僕は「不思議だなぁ」と思った。
贅沢とは、一般人が到底出すことのできない高額な金額を出して物や経験を手に入れることだと思っていたのに、お金などまったくかからない原始的なことに対して「贅沢」だと言われるとは、思ってもみなかったのだ。
昔に戻ることではなく、昔も今も両方取り入れるハイブリッド
山暮らしをしているというと、いろんな人からいろんなことを言われる。
その中で、面白いものを一つ紹介する。
風呂は五右衛門風呂で、基本的には、薪焚きだけど、深夜電気温水器もついていて、蛇口をひねれば、お湯が出るという状態にある。
これについて「山暮らしの五右衛門風呂なのに、深夜電気温水器はないでしょ!」という意見があった。
こうしたことを思う人は、意外にも多い。
山暮らしなのだから、山猿のような暮らしをしなければならない。
ど田舎なのだから、不便な暮らしをしなければならない。
狭い軽トラしか走らないような山道を、シャコタンのPorsche911で疾走するなんてありえないし、イタリア製の高級エスプレッソマシンでコーヒーを嗜むとは考えられない。
ネットなんてつながらないのは当たり前だろうし、携帯の電波なんて入らないでしょ?「えっ?入る?それって、本当に山奥なんですか?」なんてことを思われてたり。
月間100GBの通信量と最新のiMac
時代は、5Gに入った。
とはいえ、まだまだ、山の中で5Gが使えるなんて状態にはならないが、それでも、ネット環境は、十分とはいえないがギリギリ使えるレベルにはある。
通信速度は、混雑していない時間帯で、およそ10MB。
住宅街に住んでいる人にとっては、10MBなんていうのは、あまりにも遅く、ちゃんちゃらおかしいかもしれないが、これだけあれば、YoutubeやTVerなどの動画はちゃんと見られるし、クラウドでの仕事には何ら支障はない。
現在、多くのIT企業がテレワークを行っているが、新型コロナウイルスの影響がなくなっても、テレワークをすべてやめてしまうということにはならないで、今後、どんどん、テレワークが増えていくだろう。
もちろん、僕は、3年前からテレワークである。
山・海・島にサテライトオフィス
テレワークの場合、個人個人が好きな場所で好きな様に仕事をする。
もちろん、これもいいのだが、人と人が接することでいい効果を生むことは多い。
だからと言って、都市部のオフィスへ行かなければ人に会えないという状況を変え、山・海・島という極限環境に、一定期間サテライトオフィスを設け、何人か何十人かの社員が、ど田舎暮らしを満喫しながら仕事をするというスタイルができるだろうと考えてる。
旅行も、短期から長期へ
旅行も、現代の様に、3泊4日とか5泊7日とかの短期間ではなく、最短でも2週間、長期間なら1年2年など、もはや旅行ではないレベルになっていくのではないかと思う。
所有物を極限まで減らし、移住をしながら生活していき、テレワークで、どこにいても仕事ができる。
所有という概念が古臭くなる
家の所有、車の所有、配偶者や子供たちもまるで持ち物の様に考える人々もいるが、現在もすでにシェア文化が進んでいるものが、今後、加速度的に増えていくだろうと思われる。
この点では、僕はOLD TYPEで、いまだに『所有』にこだわってしまっている古い男である。
車は所有したい、家も、家電も、僕が使うもの、ほとんどを所有したいのである
とは言っても、ここ何年かで、所有するにはするが、少し変化がある。
それは『所有物=投資対象』と考える様になったということ。
まず、家は、完全に投資するべき物件である。
東京のマンションを売って山を買ったというのが大きなきっかけであるが、今の山も一生持ち続けるという考えはなく、現在、山や山林は二束三文であるが、これから、徐々に、山の価値が見直され価格が上がっていくと予測している。
それに、僕と同じ様なLIFE STYLEを送りたいと思う人も多い。
そうなれば、他の人に譲る機会が必ずあると考えているのである。
『人手不足』と『仕事が失くなる』という矛盾
現在は、新型コロナウイルスの影響で、世界経済は、ほぼ停止してしまっているが、少し前までは、人手不足が騒がれていた。
若者が減っていることで、労働人口が少なく、人手不足になっていた。
そこには、景気の緩やかな回復ということも大きな要因としてあった。
その一方で、AIが発達すると、仕事がなくなるという不安に思っていた人も多い。
AIを心配する以前に、仕事を失う人も多くなると思うが、それはさておき、人手不足と仕事がなくなるという不安というのは「仕事」というひとくくりで見ると矛盾する事になる。
では、どんな仕事が人手不足で、どんな仕事がなくなっていくのか?
これ、実際には、
同じ仕事
だと思うのだ。
人手不足になっているのは『人がやらなければならない仕事』かたや、AIが目指すのは、人がやらなければならない仕事を、人がやらなくてもいい様にしていくことであるから、現在、人手不足でも、技術革新によって、人手不足は解消され、現在、その職についている人たちが、仕事を失っていく結果になる。
今、すでに実用化されているのが、レジ打ち。
すでにセルフレジが多くの場所で導入されているため、レジ打ちがなくなる日は近いだろう。
レストランのウエイター&ウエイトレスも同様に減っていくことだろう。
すでに、回転寿司では、料理を運ぶ人はいない。
結局、能力の高い人が行う、高度な仕事のみが残っていくことになる。
その一方、ルーティーンで管理する仕事も増えていく。
オートメーション化された工場の管理、警備、清掃など、肉体的にキツくない仕事であれば、年寄りにもできる。
逆に、若者がいい加減にやるよりも、年寄りがきっちり行う方が、仕事として信頼できるし、長期間働いてもらえる可能性も高い。
年寄りが働けば、労働者人口は減らないのだ。
仕事がある人の収入は高いが、仕事のない人は極貧に陥る
という様に、貧富の差は、格段に大きくなっていくだろう。
いい加減に仕事をする者、単純なことしかできない者、考える能力が乏しい者、一所懸命に仕事をすることができない者には、仕事は回ってこない時代になっていく。
そうした人々は、よく稼ぐ優秀な人々が収める税金によって養われていくのか?
ウイルスの大量感染による大量死は、戦争と同じか?
増えすぎた人口を、どの様にして適正化していくか?
ロスチャイルド家あたりが考えていそうなことだが、これが、本当に起こっているのかもしれないと、たまに思う。
世界的な、高齢化。
医療が発達し、ますます高齢化していく。
しかし、健康的に生き、働き、社会に役立っている高齢者の数は多くはないだろう。
そうした高齢化を、どの様に受け止めるか?というよりも食い止めるか?と言った方が適切なのかもしれない。
日本の様に、高齢者の医療費のほとんどを社会保障でまかっていけるのか?
新型コロナウイルスが、どこからどうやって出てきたのか?
本当のことは分からないが、こうしたことが起こっていると、人口の適正化が行われているのかもしれない?と、思わなくもないのである。
新型コロナウイルスの影響で、明日からの東京行きがなくなり、地元行きもなくなり、さらに雨が降り続いていて、暇だったので、長々と書いてしまった。