描いた訳ではございません。素材です。本文中には、画像のような誘導員は出てきません。

僕が出会った、神業誘導員の昔話

駐車場の誘導も、道路の誘導も、ほとんど目にするのが、仕事のやる気など感じられない人たちが適当にやっているもの。
ドライバーのこちら側も、誘導員などには、何の期待もしておらず、最低限のことをしてもらえれば良いと考えている。
そのため、適当でも、特に不満はない。
ただ、事故につながる間違った誘導や、分かりにくい誘導だけはやめてほしいと思っているだけだ。
そんなのなら、正直、誰もいない方がマシである。

今、僕は愛媛に来たので、周りの車は軽自動車ばかりで、比較的、広めで台数の多い駐車場に行くことが多いため、駐車場の誘導員を見かけることはほとんどない。
道路の誘導も、下手なやる気ゼロで分かりにくい誘導をするような老人なら、簡易信号を置いてくれる方が遥かにいい。
簡易信号の場合は、車が来ていなくても、一定時間止まっている必要があるが、正直って、その方が安全が担保される。

現在、AIの開発スピードが加速していて、今後、どんどん、AIやロボットに代わっていく職業が出てくる。
人間の仕事をAIやロボットが奪うなどと言っている人たちがいるが、時代を振り返れば、消えていった職業は五万とあったのは明白で、今に始まった事ではない。
誘導員という仕事も、今後、無くなっていく仕事の一つだろうが、僕が出会った駐車場の誘導員のおじさんたちや、真っ黒マッチョな交通誘導員のお兄さんのような人たちは、いなくなって欲しくないと思ってしまう。

そう思うと、実際、どんな職業であっても、そこに『心』があるか?が重要になってくるのではないだろうか。
作業自体、ロボットやAIが出来ることは多々あれど、そこに『心』ある行動が伴うとなれば、それは、AIやロボットにまだまだ代わることはできないだろう。

仕事を奪われるとほざいている連中は、自分の仕事に『心』などない。
逆に『心』ある仕事ができる人というのは、今の仕事が無くなっても、どんな仕事からも、求められる人材ではないだろうか?

会社や店に『お客さま第一』などと掲げているところこそ、大概、お客のことなど考えてはいない。
なぜなら、自分達の利益をいただくためには、『心』ある仕事など、まず成すべき第一条第一項の事柄で、当たり前のことだからである。
会社やお店のトップに、『心』が欠けているから『お客さま第一』などという標語が出てくるのだ。

お客は、作業を求めているように思えるが、これからの時代においては、作業は、すべて、ロボットやAIなどのコンピューターが担当する。
これから求められるのは、人としての『心』である。

誘導員という、100%作業だけを求められているような職業においても、『心』ある仕事をしてくれている人たち。
そんな人たちに出会ったことがあるよっていう話でした。

-MARK'S BRAIN:思考
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