年寄りに会った時、昔の話を聞こう

日本は、高齢化社会である。
というのは、誰もがうなずくことである。
特に、田舎に来ると、高齢者率は格段に上がる。
東京にいる時には、高齢者と出会うのは、10人に1人程度の割合で、それでも多いと思っていたが、愛媛に来てからは、10人に7人は高齢者である。
言い過ぎではなく、本当にそうだ。

とはいえ、年寄りだからと言っても、ど田舎の年寄りは、だらだらと日常を過ごしている人はほとんどおらず、定年を過ぎても、畑やら田んぼやらで元気に働いているので、特に「年寄りばっかりだなぁ」という印象はない。
その点では、元気のない年寄り率は、都会よりも確実に少ない。

今まで、年寄りに会った時、会話の主導権は、年寄りに譲り、自分から何か話題を振ることは非常に少なかった。
話題を振る時というのは、野菜がどうのとか、畑がどうのとか、ここの土地は誰のじゃ?とか、要するに『今』・『現在』の話しかしたことがなかった。

しかし、僕は気がついた。

年寄りには、昔の話を聞くのがいい

と。
それに気がついたきっかけは、僕の住んでいるすぐ下にあるしいたけ畑の爺ちゃんが、少し前に亡くなったことだ。
僕が、この山に来てから、よく訪れて来てくれた人の一人だった。

で、来ては昔の話を30分ほど喋って帰る。
僕は、ほとんどその話を聞いているだけで、たまーに質問をするくらい。
話す内容の、1/3ほどは聞き取れなかったが、それでも、なんとなく話している内容は掴めた。

亡くなったことは、人伝に聞いた。
しばらく前から「足が悪うて、もう、歩けんのじゃ」と言っていた。
僕のところに来てくれることもほとんど無くなっていた。

先日、線香をあげさせてもらいに家を訪ねた。
その時に、娘さんからこう言われた「お父さんのそういう話(山のこと)を一番聞いているのは、お兄さん(僕のこと)かもしれんね。兄たち(爺ちゃんの息子さんのこと)には、あまり話さんかったよって」と。

爺ちゃんは、来るたびに、この辺の山こと、昔の出来事などを、1回30分ほど話していたので、確かに、僕は、めちゃめちゃ詳しくなった。

前々から「年寄りには、昔の話を聞くのがいい」とは思っていたが、今回の出来事をきっかけに、このことは確信に変わった。

年寄りというのは、往々にして、若い人に会った時、自分が何かを話してやらないといけないと思っているように思う。
僕だって、自分よりも若い人に会ったら、何かを話してやらないといかんと思うのだ。

しかし、年代の違う相手が興味を持つことや、相手に合わせた話を考えることは容易いことではない。
どうしても、若い人が興味のないことを話してしまったりするものだ。
それは『今』・『現在』の話をしてしまうからだという事に気がついた。

僕が、爺ちゃんの話に興味を持ったのは、僕自身が全く知らない事だからである。
さらに、想像がつかないような事であり、爺ちゃん自身のリアルな体験であり、場所が同じでも、風景や出来事が違う事であるからだ。

戦争・高度成長期・オイルショック・・・

どんな場所に住んでいても、年寄りに共通することは、僕たちが知らない歴史の中をリアルに生きてきたってことだ。
僕たちは、こうした歴史を教科書でしか知らない。
戦争があったんだなぁ、その後、高度成長期でみんな頑張ったんだぁ、オイルショックがあってトイレットペーパーが売り切れたんだなぁ・・・なんて、人ごとにしか思っていない。

しかし、人々がどう行動し、どう感じ、どう思っていたのか?
そんなことは、まったく知らない。
そして、年寄りたちは「若いもんは、そんな事には興味ないだろ」と思って話すことはない。
何かのきっかけで息子や娘に話したところで「そんな昔話はいいよ」と毛嫌いされて終わってしまうというのが現実だろう。

歴史は繰り返す。生きるヒントがそこにある

歴史というものは、螺旋階段のようにぐるぐると回っている。
上から見ると、同じところに戻っているように見えるが、横から見れば、一段上がっているのがわかる。

歴史というものは、何かが違っているが、同じようなことが起こる。
同じようなことが起こるのなら、それをレベルアップさせるためには、歴史を知ることはとても有効なことではないだろうか。

僕らは、教科書に載っているような歴史についてはよく知っている。
しかし、リアルな人々の感情、思い、判断、行動、結果については、まったくと言っていいほど知らない。
知らない事によって、何が起こるか?

災害を見れば一目瞭然だ。
同じような災害が起こった時、自分が過去に経験したことのある人は、適切な判断と行動が出来、難を逃れている人がいる一方、経験がない人々は、災害に巻き込まれてしまっている。

こうしたことを防ぐためにやっているのが「語り部」と呼ばれる人々である。
これは、特別な人しかやれないことではなく、誰もができることだ。
そして、年寄りは、誰でも歴史の生き証人であることがわかる。

大きな災害に関してだけでなく、もっと身近な日常の出来事にも、生きるヒントはたくさんある。
さらに、記録にさえ残っていない情報も山ほど持っていたりする。
そうしたことを、聞くことは、とんでもなく価値のあることなのだ。

過去にタイムスリップするきっかけを見つける

年寄り連中は「昔の話などしても若い人は興味がない」と勝手に思い込んでいるし、息子や娘など身内は特に、親の話を毛嫌いする傾向にあるため、身内以外でも「若い人」は全員毛嫌いすると思っている。

そんなことはない!ってことを伝えて、昔の話を聞いてみたい。
もちろん、話の何分の1かは、よく理解できなかったり、つまらない話になるかもしれない。
それでも、必ず、重要な聞くべきとはある。と僕は思っている。

「昔の話をして」と頼めば、きっと、何かしらしてくれるとは思うが、これまた身内の場合は「そんな、昔の話はいいよ(したくない)」と逆に年寄りから断られてしまうこともある。
これは、昔の話をするためにタイムスリップする準備が整っていない場合がそうだ。

そのためには、何かしら『昔』に通じるアイテムや場所、会話などのきっかけが必要なのだ。
年寄りの思い出の品を見つけて「これは何?」などと聞いたり、思い出の場所に一緒に行って、そこでのエピソードについて聞いたり、家の縁側に座ってのんびりとお茶をすすりながら、この家での出来事について聞いたり、仏壇の前で故人についてのエピソードを聞いたりすれば、きっと、ボソッと話し始めてくれるはずである。

本当の知恵と知識とは

知恵と知識は、教科書に載っていたり、教師から教わる、自分の実体験から学ぶというのが一般的ではある。
しかし、このことわざの意味は、教科書に載っている歴史という歴史ではないように思う。

【寓者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ】

実際の直訳は、こうらしい
「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。
 私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む」

ちょっと、短くしすぎてるな。
有名なフレーズでは、経験に価値はなく、歴史に価値がるように捉えられるし、『歴史=教科書に載っているような過去の出来事』というようにも捉えられてしまう。
しかし、実際には、自分の経験だけではなく、他者の経験からも学ぼう!ってことだというのがわかる。
そして、このことは、僕なりに考えると、他者=同年代だけではなく、特に、

他者=年寄り

と考えてみたい。
それは、先にも話したが【歴史は繰り返す】からだ。
この歴史のスパン、一周前を経験した、その経験こそ、自分自身に大いに役立つ知識となるのではないだろうか?
そして、それは、どでかい荒波を超える最高の知恵を生み出すと、僕は思っている。
最後にあえて大きなことを言う。

年寄りの昔話には、人を救う大いなるヒントが隠されている

と。

「そこの年寄り!あなたのことよ。若いもんに昔の話を聞かせてやってほしい。あんたの話には、とんでもないお宝が潜んでいるのだ」

年寄りには、経験からくる知識はあっても、新しい時代を生き抜く知恵は出てこないかもしれない。
しかし、話を聞いた若者は、そこから、これからの時代を生き抜く知恵を生み出すことができるのだ。

口を閉ざせば、社会保障費を浪費する単なる厄介者でしかない、しかし、口を開き、昔の経験を話せば、きっと、それは黄金を生み出すきっかけとなる。
財布を開くよりも、よっぽど価値があると、僕は思うのだ。

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