ほとんど誰にでも誕生日というものがある。誕生した時のことなど覚えてなんていないのに「この日が誕生した日だ!」と堂々と言ってのける。なぜ、確信できるのか?不思議に思った。実際には、ちょいと違っていても不思議ではない。
1月1日が誕生日だという人がいるが、こういう人、結構多い。実際には、1月1日ではない人も多いとのこと。「縁起がいいんで元旦にした」ということを聞いたことがある。
僕の誕生日は、12月29日。そう思うと、1月1日にしておいてくれてもよかったのだけどなぁ。なんてことも思う。12月29日というのは、師走のピーク。さらに、クリスマスにも近く、大概が、クリスマスと誕生日の祝いは同じになるし、すでに冬休みなので、友人に祝ってもらえる機会もない。
かろうじて良かったことは「誕生日を祝う」という習慣がない家庭だったため、兄弟の誕生日を祝ったことはないのだが、僕だけは、クリスマスにケーキを買ってきたついでに、なんとなくHappy Birthdayも言ってもらったような気がするということ。
僕が誕生した1972年、母は20歳だったようで、その母もばあちゃんが20歳の時の子なので、母とは20歳違い、ばあちゃんとは40歳違いとわかりやすい年齢構成になっている。よく「おばあちゃん子」というのが言われるが、僕は「ひいばあちゃん子」だった。ひいばあちゃんことを「ばあちゃん」と呼び、ばあちゃんのことは「おばちゃん」だったのだ。それほど、ばあちゃんは、子供の目から見ても若かったのである。
僕のこんな経歴が影響しているのかわからないが、僕の考えとして、
子供のそばには、年寄りが必要だ
と、思うのである。
両親が共働きで、普段家にいなくても、ばあちゃんが一人いれば、子供は立派に育つように思える。もちろん、子供を育てたことのない僕にとっては、机上の空論に過ぎないが、自分が育った環境と、世の中に「ばあちゃん子」というものが存在していることを考えると、なまじ間違っていないようにも思えるのだ。
僕の場合は、特に、母は若かった。子供が子供を産むようなものだ。さらに、僕が、たぶん2歳頃に離婚をして実家に戻っている。(これを書くと母は嫌がるが、これは僕の人生の出来事なので仕方がない)僕にとって、これはいい出来事だったのだろう。そのおかげで、3歳、4歳くらいの時期に、じいちゃん、ばあちゃん、ひいばあちゃんと暮らせたのではないかと思う。しかし、僕には、その頃の記憶は、まったくと言っていいほど無い。
僕が40歳になった時、母がくれた昔の写真が、唯一、そのころの手がかかりとなるものだったのだ。
記憶と記録の関係は、のちに、僕がフォトグラファーとして、
「記憶とは、記録の繰り返しにより維持される」
という、理論にも繋がっていく。
子供は、両親のDNAを受け継ぐと言われるが、僕はそれを迷う。物理的には、生みの父親を引き継ぐのだろうけど、僕は、ほとんど何も知らない。中学の時に一度会ったことがあるというだけで、思い出も何もないし、どういう人なのかもまったく知らない。それよりも、育ての父の方をよく知っているわけなので「父親」という、後者の方に考えが及ぶ。そうなると、混乱してしまう。
それを解決する理論が、
「粒子交換」
という考え方だった。「夫婦は顔が似てくる」「ペットと飼い主は似てくる」ということが言われるが、これは、一概に間違ってはいない。いや、むしろ、この原理は物理的に正しいと思う。
僕たちは、はっきりと物質ごとに境界があり、一つ一つが違う物質として別れていて、その間には、また違う物質が空間を埋めていると考えている。大雑把に見れば、それは間違っていない。しかし、僕たち人間の原理を見てもわかるように、身体は食品を取り入れることによって細胞が生産され、古いものは日々剥がれ落ちている。空気も常に取り込み、酸素が身体中を巡っている。それだけを考えても、人間という個体が単体で生存しているわけではないことがわかる。
最低でも、周辺の空気と食品に影響を受けているだろう。それだけを考えても、同じ空気を吸い、同じような食品を摂取している夫婦やペットと、同じような身体に変化していくのは当然と言える。
僕は、そこに目に見えなくてもお互いに「粒子交換」が行われていると考えている。近くに存在しているものどうし、常にやり取りをし、お互いに影響を与えあっているのではないかと考えている。
夫婦や家族、ペットなどはもちろん、同じ会社で働く人たちや、学校のクラスメイトもそう。長い時間と狭い空間を共有することで、お互いの粒子が多く交換されていて、影響を与え合っている。
オーラが大きい、気の力が強い、エネルギー量が多い物質や人は、より周りに大きな影響を与える。
そうした考えを元にすると、生みの父と、育ての父、影響が大きいのは、やはり育ての父であると言えるだろう。とはいえ、16歳で家を出ていることを考えると、一緒に暮らした期間は10年ちょっと。「三つ子の魂百まで」論で考えると、ちょうど、そのころは、生みの父ちょっと、じいちゃんちょっと、育ての父ちょっとと分割されているので、誰の影響も大したことはないとも言える。46歳になった今では、ほとんど関係ないかもしれない。
そんなわけで、1972年12月29日、この世に誕生したらしい。